ババ(ジャイアント馬場)は1960年に日本プロレスに入門。その翌年にアメリカに修行に出ましたが、その2年後にはアメリカ三大マーケットのトップ選手になっていました。しかし、何よりも大きなマーケットはNWA。そして、当時のチャンピオンは鉄人ルー・テーズです。
力道山とは、NWA世界やインターナショナル選手権を争ったルー・テーズ。ババ(ジャイアント馬場)は、海の向こうでその師匠のライバルと戦っていたのです。ババ(ジャイアント馬場)のポジションがいかにすごいところにあったか。同時入門の猪木寛至が嫉妬するのは十分理解できる大出世です。
昭和プロレスの世界最高峰といえばNWA世界ヘビー級選手権。そして、NWA世界ヘビー級選手権者といえばルー・テーズです。
デトロイトでババは1964年02月05日、時のNWA世界王者、ルー・テーズに挑戦しました。
腹の辺りにたるみの出てきたテーズと比べて、ババは肉体的にこの頃が全盛期だったか。とくに下半身の盛り上がりが凄い。
見てください。ババの若き日のファイティングポーズ。そして、気を抜かないルー・テーズ。
(原康史『劇録馬場と猪木1巻』40ページ 東京スポーツ)
ジャイアント馬場の自伝によると、この挑戦権は売り出し中のウィルバー・スナイダーに勝って獲得したものらしい。
↑スポンサードリンク
1964年といえば、ババが三大世界王座連続挑戦の偉業を成し遂げた年ですが、この後、2月17日にサンマルチノ(ニューヨーク)、2月28日にブラッシー(ロスアンゼルス)と対戦します。
昭和プロレス、夢一杯です。
結果はどうだったか。
1964 2月8日 デトロイト NWA世界戦
テーズ(2-1)馬場
1本目は、馬場の高角度頭突→椰子の実割→ニードロップで先勝。日本人初の世界王座が目前に迫りました。
しかし、2本目はルー・テーズの空中胴締落しにやられます。
そして3本目。同体バックドロップでルー・テーズが辛くも立ち、馬場のカウントアウト負けしてしまいます。
ジャイアント馬場は、「神様の頭を蹴るのは恐れ多くて勇気が要った」「筋肉が普通じゃないんですよ。最初は柔らかいのに戦っているうちに鋼鉄のようになる。あんな不思議な筋肉と戦ったのは初めてです。全盛期にはどれだけ強かったのか見当もつかない」とコメントしたとされています。
う~ん。惜しかった、ババ
いずれにしても、ジャイアント馬場、世界王者のルー・テーズを相手にすごすぎます。
2013-06-25 07:00
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
[編集]
共通テーマ:趣味・カルチャー
コメント 0