黒潮太郎。昭和プロレスファンでも名前を知っている人は少ないかもしれません。かつて国際プロレスに留学したトリニダード・トバゴ出身のレスラー(本名レイ・ゴールデン・アポロン)です。国際プロレスの留学生というと稲妻二郎が有名ですが、稲妻「二郎」は、黒潮「太郎」に次ぐ留学生という意味で命名されたのです。
「東京スポーツ」(6月26日付)には、その黒潮太郎のことが出ています。小佐野景浩氏の連載コラム「海を越えてきたサムライ」でのことです。
記事中にある黒潮太郎の写真
主要な部分を抜粋します。
「リングネームは国プロとTBSが公募、7万6523通の投票の中から「黒潮太郎」に決定した。2㍍、110㌔の恵まれた体はボディービルで鍛えられ、すでに母国でアポロンからプロレスのイロハを習っていたことから、年明けの70年1月3日の岡山県体育館で早くもリングへ。巨体を生かした揺りイス固めで大剛鉄之助を相手に白星デビューを飾った。南国から真冬の日本にやってきただけに、日本語で最初に覚えたのは「サムイ!」。いつもストーブを抱えていた。
春になると「第2回IWAワールド・シリーズ」に来日した〝人間風車″ビル・ロビンソンに目をかけられ、5月には田中忠治、大磯武、寺西勇に連れられてシンガポールなど東南アジアへの遠征も経験。夏にはカリブ海マルティニーク出身のジャック・クレインボーンとタッグを結成するなど充実した1年を過ごし、71年春には努力が認められて「第3回IWAワールド・シリーズ」のトリニダード・トバゴ代表に抜擢された」
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73年には兵役で帰国しますが、送別会を兼ねた忘年会では流暢な日本語であいさつしたそうです。そういえば、ジェリー・モローこと稲妻二郎も日本語はうまかったですね。
2013-06-26 23:27
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黒潮太郎の本名はテディ・ハーバートです。レイ・ゴールデン・アポロンは1968年の国際プロレス第1回IWAワールドシリーズに参加した、南米の実力派黒人レスラーのことです。
by 国際プロレスのオールドファン astroboy (2013-08-30 10:16)