巡業といえば、昭和プロレスの定番です。各シリーズの中で大きな試合を大都市で行い、その合間を地方の体育館や屋外競技場で行うものです。外国人選手は週給なので、1週間きっちりはたらいてもらうためにも「大場所」以外の興行を組む必要があります。また日本人の所属レスラーは試合給なので、これまた1試合でも多い方がいいのです。そして、地方のプロモーターに興行を売るためにも、地方の興行を組む必要があったのです。
レスラーにとっては、タイツとリングシューズを持って全国津々浦々を回り、各地の名物を食べ、名所を見学しながらリングに上がり、そして最終戦に東京に帰ってきてからその分のギャラをもらう。こたえられない仕事だったでしょうね。
実際、プロレスの景気が落ち込んだのは、最近の興行が大都市集中になり、レスラーが巡業をしなくなったからだ、という意見の人もいます。
巡業を経験することで、上記のような「楽しさ」がレスラーとしてのモチベーション向上につながるとともに、一流レスラーも駆け出しレスラーも同じ電車やバスで移動し食事を共にすることで、学んだり意見・情報交換を行ったりする機会があるわけです。
げんに、外国人レスラーの間では、「日本帰りは出世する」というジンクスもあったほどです。
日本の巡業は、交通費や宿泊費は会社持ちです。しかも、自分で時刻表を調べなくてもチケットは全部手配してくれます。食事代も、その土地土地のプロモーターや後援者がご馳走してくれることが少なくない。
金銭的にも精神的にも、プロレスに集中できる環境なわけです。
アメリカでは、それらはすべて自腹であり、かつ会場の移動は自分で決めなければならないので、一緒に車に相乗りする仲間を探さなければなりません。
その意味でも、外国人レスラーたちは、日本で呼んでくれることを大喜びしたのです。
プロレスは勉強できて、お金もたまりますからね。
外国人レスラーは、みんなそれでお金を貯めたのです。
唯一、ディック・ザ・ブルーザーだけは、来日したとき、新幹線の食堂車のメニューをすべて平らげたり、銀座で豪遊したり、秋葉原で電化製品を買いあさったりして、初来日のギャラをすべて使い果てしましたが、その散在によって、デック・ザ・ブルーザーの大物としてのブランデイングができたわけですから、これはまあ、戦略というか、経費ですね。
最初、お試しで格安にしたり、ほぼ無料で商品を配って、そのメーカーの名前を売るようなものでしょうね。
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それはともかく、前々回でもご紹介したのは、ジャイアント馬場とジ・アラスカンです。
原康史『劇録馬場と猪木1』140ページより
第6回ワールドリーグ戦も休日のようです。
ジャイアント馬場と楽しそうに語らうジ・アラスカン。
ジ・アラスカンは日本プロレスの最後のシリーズに参加しましたが、レフェリーのジェリー・マードックと一緒に、そのまま全日本プロレスのシリーズに参加しました。このときの散歩からジャイアント馬場とのパイプができたのかも知れません。
だとすると、これはこれでお宝写真ですね。
背景を見る限り、建物もまだ高いものはありません。
それにしてものどかですよね。
パンツとシューズをもって、全国を旅しながらお金を稼ぐ。当時のプロレスの魅力を示唆した一コマです。
最近は各団体とも巡業が縮小され大都市集中となり、レスラーは他団体の興行に効率よく出稼ぎせざるを得ない現代では、こんな魅力は全く窺えません。
それにしても昭和プロレスは本当に素晴らしい。
2013-06-27 09:00
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ジ・アラスカンの本名はジェイ・ヨークと聞きましたが、私の記憶に間違いがなければ、後年、某カメラメーカーのCMにロシアの木こり風の格好でカメラを持ち、「ワタシはズーレンコ(=ズーム・連写・コンパクトの略)」と言っていました。
ずいぶんと歳をとってからだったと思いますが、現役だったんでしょうか…?
by 某レトロファン (2014-10-24 01:09)