ジャイアント馬場といえば昭和プロレスのエース。明るく楽しく激しいプロレスは、四天王プロレス以前に、ジャイアント馬場自身がこの時代に実践していました。高度経済成長の象徴ともいえた、ダイナミックなプロレス。その真骨頂は1965年3月26日、リキスポーツパレスで、ドン・ダフイ相手にさく裂した32文ロケット砲です。
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ドロップキックは、すでにアメリカ時代に、マスターはしていたようですね。
師匠のペドロ・モラレスによれば、「最初は下手だったが、すぐに巧くなった」とか。昭和プロレスにとって大きな記念日です。
ともに原康史『劇録馬場と猪木2』101ページより
ダフィ自体は大したレスラーではありませんが、ここでジョバーをやったことで、彼の名は日本プロレス史上に残ることになりました(笑)いや、プロレスというのは記録も大事ですが記憶に残ることも大変な偉業なりのです。
日本人レスラーというと、力道山や豊登はドロップキックなんて全くイメージ的にむずかしいし、唯一の使い手だった遠藤幸吉も、プロレス技としての美しさや説得力に欠けていたように思います。(遠藤の現役時代をご存じの方は反論歓迎)
吉村道明やアントニオ猪木のような、瞬発力はあっても尻餅をつくように落ちるのも格好悪い。
その点、キリモミ式で、このときは違いましたが、手も万歳をするようにまっすぐに伸ばすので、昭和プロレスのエース・ジャイアント馬場のドロップキックは非常に見栄えがいいのです。
「大型ロケット弾道弾」「アポロキック」という当時の清水一郎アナの実況は、まさに高度経済成長時代を反映したダイナミックで明るく楽しく激しい馬場プロレスの全面開花でした。
「明るく楽しく激しく」というのは、ジャイアント馬場晩年の、いわゆる四天王時代の全日本プロレスのイメージですが、その「語源」は、この頃のジャイアント馬場のプロレスそのものだったのだと思います。
昭和プロレス、ダイナミックで楽しいですね。万々歳です。
2013-06-28 13:00
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遠藤幸吉はドロップキックの名手でしたよ。それから吉村道明も、正面跳びで尻から落ちる型でしたが、高さもスピードもあり見事でした。(ルー・テーズも同じ跳び方でした。スピードは更に凄かったです。)
意外や猪木のは不格好でスピードもなく、どっこいしょという感じで跳び、尻から落ちていました。
後年、錐揉み式に改良してからは名手となりましたね。
by 某レトロファン (2014-04-15 21:14)