女子プロレス第1次ブームの1970年代後半、「クイーン・エンジェルス」のコンビ名でトミー青山さんとともに大活躍した女子レスラ主がいた。ルーシー加山さんだ。お約束の歌手デビューも果たし、人気はアイドル歌手を上回った。今どうしているのか。 「ビックリされたでしょ。こんな民家でデイサービスしてるなんて。初めてみえる方は、たいてい戸惑われますね。でも、近所の友達の家に遊びにきたみたいって好評なんですよ。それがウチのセールスポイントでもありますし」 大田区南馬込の住宅街の一角、築40年になろうかと思われる木造2階建ての介護サービスセンター「茶話本舗 デイサービス山王」で会ったルーシーさん、こういってニッコリ笑った。 「ここの管理員任者、施設長をしています。2年前の2月に開設した比較的新しい拠点で、96歳の女性を最高齢に10人の利用者がいらっしゃり、平均年齢は86、87歳でしょうか。ウチは通所だけでなく、宿泊もオーケーでして、毎日5人の方が泊まっておられます。それを宿泊介護のヘルパーさんと食事担当など4人態勢でサポートしてましてね。もちろん、私が泊まり込むこともあります」 それにしても、とても53歳には見えない。オシャレなセーターに黒のストレートのパンツ。指には赤いマニキュアを塗り、お出かけみたいにバッチリとメークしている。 「介護っていうと、ヘルパーさんは上下ジャージーかジーパンが多いでしょ。スポーティーでカジュアルだと動きやすいし、汚れも気にならないのはわかりますけど、それじゃあまりに華がない。で、私はいつもちょっぴりオシャレして、通所者の方に楽しんでいただこうと思ってるんです。最近は利用者のみなさんも身だしなみに気を使われるようになり、他のデイサービスよりも明患い雰囲気になった感じがします」 さて、江東区生まれのルーシーさんは格闘技経験がないのにもかかわらず、高校2年だった77年3月にあった全日本女子プロレスの第1回オーディションに参加。そこで約2000人の応募者の中でトップ合格。同期にジャガー横田がいる。 「高校中退し、目黒にあった合宿所に入り、6月にデビューしました。当時は女子プロレスがゴールデンタイムで放送され、1年間に310興行も組まれてた。40日間連続で試合なんて普通でしたね」 最初はヒールだったルーシーさん、方向転換を図ってトミー青山さんとベビーフェースのタッグチーム「クイーン・エンジェルス」を結成したところ、人気爆発。79年、「ローリング・ラブ」で歌手デビューも果たし、アイドルレスラーとしてブレークした。 「だけど、プロレスに加えて歌手活動もあり、疲労で体はヘトへト。背骨でちゃんとくっついてるのは3カ所だけで、残りは全部ズレちゃって、ついにドクターストップがかかって」、81年、惜しまれつつ引退した。 その後、武蔵小山でのスナック経営を経て、25歳で結婚するも、33歳のときに離婚。 さらに再婚・離婚を経て、現在は都内で一人暮らしだ。 「介護の仕事は10年ほど前から始め、渋谷区内の社会福祉事業団で経験を積み、4年前、茶話本舗の正社員になりました。私にとって介護サービスは天職。一生の仕事だと思っています」
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