バディ・ロジャースが今週号でも書かれています。『週刊大衆』(11月11日号)の連載「1964年のジャイアント馬場」の話です。その当時、アメリカ遠征中だったジャイアント馬場にとって、最高のレスラーとして出会ったのがバディ・ロジャースでした。そのバディ・ロジャースとは何だったのかが書かれています。
連載が言うには、バディ・ロジャースが演じていたのは病的なナルシスト。病的とは言うが、実は世間の人々はみなその気質を持っている。だから、それを具現するバディ・ロジャースに人気が集まったという話です。
バディ・ロジャースがリング上で演じたのは、正に自己愛性パーソナリティ障害のナルシストである。
ロジャースは、誰もが心の中に秘めつつも、決して表に出すことのできない反社会的で幼児的な自己愛願望をリング上で全面的に解放した。
大人の世界では決して通用せず、病気としか思えないような子供っぽいナルシシズムが、プロレスのリング上で全開になる。だからこそロジャースは真面目な大人たちから罵声を浴びつつ、若い女性や子供たちから熱狂的な支持を集めたのである。
二四年間にわたってシカゴ・トリビューン紙でコラムニストを務めたボブ・グリーンはそのうちの一人だ。
《バディ・“ネイチャーボーイ”・ロジャースは少年時代のぼくにとってアイドルのひとりであり、今なお憧れを抱き続けている。》(ボブ・グリーン『アメリカン・ヒーロー』)
要するにロジャースは、エルビス・プレスリーやミック・ジャガーのような、不良のロックンロール・ヒーローだったのである。
リック・フレアーが“ネイチャーボーイ”と呼ばれましたが、原点にはバディ・ロジャースにあったのでしょう。にもかかわらずジャイアント馬場は、リック・フレアーに対してバディ・ロジャース二世としての評価は与えていませんでした。
つまりリック・フレアーは、キザで華やかな形だけの真似で、ディ・ロジャースのようなテーマがなかったということだと思います。
テーマを確立する前に、NWAにチャンピオンとして指名されてしまったこともあるかもしれませんね。
連載は柳澤健氏が書いていて、タイトル通りアメリカ遠征中の馬場正平が、本場アメリカのプロレスラーやプロレスの何をどう見ていたのかが書かれています。
>>こちらもご覧ください
「1964年のジャイアント馬場」でNWAの仕組みが明らかに!
2013-11-13 17:15
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