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ビル・ロビンソン死去、現役時代の真実今明らかに

ビル・ロビンソン死去の報が『東京スポーツ』(2月6日付)はもちろん、ネットのニュースでも発信されてネット掲示板でもスレがたちました。NWAやWWFなどの本場のメジャーなタイトルとは無縁のレスラーですが、昭和プロレスのスターでした。日本ではスター選手不在だった国際プロレスで、外国人でありながら善玉日本陣営で相手と戦い、人間風車(ダブル・アーム・スープレックス)という必殺技が異名にもなったことで“著名なレスラー”の一人だったのです。

東京スポーツ、ビル・ロビンソン.png

必殺技が異名になったのは、“鉄の爪”のフリッツ・フォン・エリックと、このビル・ロビンソンぐらいでしょうね。

国際プロレス時代、負けた試合を見たのは、ピーター・メイビアの反則負けと、サンダー杉山戦でロープに足を引っ掛けたリングアウト負けぐらいかな。杉山戦は、バーン・ガニアにスカウトされてアメリカAWA圏を転戦するために、IWAのベルトを日本に置いていかなければならなかったと記憶しています。

まあ、現役時代はいろいろ物議をかもした人でしたけどね。

新日本プロレスでアントニオ猪木と戦って引き分け。名勝負と言われましたが、宮戸優光によると実はそうではなかったそうですね。意地の張り合いで打ち合わせ通りの試合展開ではなかったとか。

その後、今度は全日本プロレスに来日。ジャイアント馬場に2フォール負けしました。日本で初めての2フォール負け。



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新日本プロレスはもちろん怒ったでしょうが、猪木が村松友視氏の本(『当然プロレスの味方です』)の中で「(ビル・ロビンソンは)自分を売ることばかり考えている」と言ったのは、そのこととともに、打ち合わせ通りの試合を展開しなかったことに対する思いもあるのかなあと思います。

猪木は、今回もっともらしい追悼のコメントしていますが、もう怒りは解けたのでしょうか(笑)

ビル・ロビンソンは自著で、プロモーターとしてのジャイアント馬場は褒めていますが、プロレスラー・ジャイアント馬場のことをレスリングができないとか、2フォール負けの試合は魔が差した黒歴史だというようなことを書いていますけど、それはちょっとレスラーとしてどうなのかなと思いました。

だって、プロレスは別にアマレスのプロではないんですから、別にレスリングができていなくても、客をたくさん入れて喜ばせたレスラーが「いいレスラー」なのです。

ビル・ロビンソンやカール・ゴッチ、その他猪木に近い方からしばしば、「強いレスラー」だの「レスリングのできるレスラー」だのといった話が出てくるのですが、プロレスの仕組みが明らかになった現代では、ちょっと理解しかねるこだわりという気もします。

いや、リアル強さを求める価値観自体は否定しませんが、げんにレスラーとして成功した人を「レスリングができない」という理由で貶めるのはおかしいだろうという話です。

ジャイアント馬場が3000試合連続無欠場記録を作って、いろいろな選手がお祝いのコメントを述べた時、ビル・ロビンソンは「馬場はあのサイズでは頑張ったほうだ」というような発言をしてファンの間で物議をかもしていました。

要するにビル・ロビンソンというのは、プライドの高い人だったんでしょうね。

体位やレスリングでは馬場には負けないぞ、というような気持ちがあったのでしょう。

ところで、東スポでは何人かが追悼コメントを指定ますが、天龍だけは「ご冥福コメント」ではありません。
当時、最強タッグのシリーズ中だったかな? ホテルのロビンソンの部屋の前に、テリー・ファンクが、どっかから持ってきた植木を鉢ごと置いちゃって、さらに消火器を使って白い泡で「メリー・クリスマス!」ってデコレーションまでしちゃった。それを発見した瞬間、あの独特な発音で「F●CK!」って怒り狂っていたね。その光景を見て、「ああ、英国紳士でも怒ることがあるんだな」と妙に感心したことを覚えている。その後、全日本プロレスは、そのホテルから出入り禁止になったけど…
天龍源一郎、サイコーですね。紋切り型の追悼だけではなく、こうしたエピソードもファンは知りたいものなのです。

ということで、ビル・ロビンソンのご遺徳お偲び申し上げます。

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ミスカラス

ビル・ロビンソンの元祖!人間風車は,破壊力はともかく最後のフィニシュに至るまでの一連の動きが華麗で魅力的でした。
その後にドリ-・ファンクも真似したけれど、何か動きがブレいて冴えなかった。
G・鶴田のは決まってました。

破壊力だけでいうと、ローラン・ボックのは低い体勢で素早かったので、
相手は受身が取れないのでダメージがありそうな気がしました。
by ミスカラス (2014-04-06 15:05) 

某レトロファン

国プロ以後のロビンソンの「人間風車」を見て、「…なんか違う。」と思ったものです。国プロ時代のそれは最後まで手のロックを解かず、投げ終わると同時に体を回転させフォールに入っていました。それが後年は、腰を痛めたのと、アメリカ式の、見栄え優先の型にチェンジしたための違和感でした。
国プロ時代のロビンソンのスープレックスを知っていると、他のレスラーのは見られたものじゃありません。
腕ロック、どっこいしょ、ドスン、ガバッ(投げた方が起きる)、フォール…なんてのばっかり。国プロ時代のロビンソンやボックのそれは一動作で決めていました。
by 某レトロファン (2014-04-15 21:45) 

ラパパポスキー

ロビンソンやテーズは、アマレスの基礎のある選手を「レスリングのできる」レスラーとして評価していたと思われます。
テーズは、G.キニスキーなどは例外的に一目置く一方で、A.ロッカのようなタイプを唾棄していました。わざと体を捻ったバックドロップでロッカを負傷させています。
レスリングの基本に沿った試合のできる事を第一に考えていたのではないでしょうか?
ロッカのように組む前から蹴りが飛んでくるようなタイプや、終始殴り合いの試合は「タフマンズ マッチ」と呼び、嫌っていました。
ロビンソンやテーズが、馬場をレスラーとして評価しなかった理由は、自らのレスラーのセオリーに合わない相手だったからではないでしょうか?
しかし、セオリーに合わない馬場が、まるでセオリー無視の試合をしていたら、テーズは容赦無くシュートを仕掛けて潰しにかかったでしょうから、その意味では馬場も全く評価されていなかったわけではないと思われます。
ロビンソンも同様でしょう。
by ラパパポスキー (2014-04-17 12:00) 

昭和プロレス

>ミスカラス さん
なるほど、鶴田は決まってましたか。
あの方は全てにおいて
余裕でできます、まがもてなくてもてあましてますみたいなところがありましたね。
わざとらしいピクピクもそうでしたし。

>某レトロファン さん
ロビンソンは全日本に来てからは、
人間風車よりもワンハンド・バックブリーカーを決め技にしていましたね。
すでに人間風車は厳しかったのかもしれませんね。

>ラパパポスキー さん
なるほど。大木金太郎がテーズにリンチまがいの攻撃を受けたのは
大木金太郎がセオリーを無視して興奮して暴走したんでしょうね
その点で馬場は信頼できるレスラーだったんですね。
by 昭和プロレス (2014-04-19 04:58) 

MONSTER ZERO

初めまして。

ビル・ロビンソン!!!

ワンハンド・バックブリーカーに感動!(小学4年生でした)。。(笑)
by MONSTER ZERO (2014-09-10 09:06) 

ミスター珍

自分が小2(7歳)ビリーが29歳(2度目の来日)始まて反則をしない
外人を見た瞬間でした!
右手のカイナを返すと甲が上に来る左手は掌が上になるそこでグリップすれば
対角線上に左後方に投げ飛ばすのが順当だがロビンソンは空中で切り返して
右後方に落とす独特なフォーム!
ローランドボックのように相手を痛めつけるためだけに投げるスープレックスとロビンソンのように後半「以前のようなフォームになり切れない」って言ってるように見せるためのフォームも1流だった。
by ミスター珍 (2015-07-25 23:33) 

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