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馬場、猪木、吉村の3強揃い踏みで勝利!【1968.7.7】

アジアタッグ

ジャイアント馬場、アントニオ猪木、吉村道明といえば、日本プロレスの3強。キム・イル大木金太郎が、韓国と掛け持ちでリングに上がっていることを考えると、この3人が純然たる「日本プロレスの3強」ということになる。その3人がタッグを組む6人タッグマッチが組まれた。前座を多少手薄にしても、ビッグ3をあえて組ませてしまうのは、前日、日本陣営が外人組に敗れたこともあるだろう。

ジャイアント馬場と吉村道明といえば、かつてのインタータッグ、アジアタッグ選手権者コンビである。

もともと、アジアタッグ選手権保持者であった2人は、1966年11月5日、東京・蔵前国技館で、王者チームのフリッツ・フォン・ゲーリング&マイク・パドーシスを破って、インターナショナルタッグ選手権を奪取している。

これまで、日本にある王座は、復活インターナショナル選手権にしても、アジアタッグ選手権も、アジアヘビー級選手権も、日本で誕生したものである。(インターナショナル選手権は、もともとルー・テーズから力道山が奪ったものといわれているが、一部にはタイトルは百田家に永久に与えたもので、名称だけ復活の別物という意見もあり、少なくとも復活王座決定戦は日本で行われた)

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それに比べると、インターナショナルタッグ選手権は、少なくとも海外からチャンピオンが来日したことになっているのだ。

だから、同じ「インターナショナル」と同じ名称がついたタイトルでも、シングルとタッグでは由来が違うのである。

それはともかく話を戻すと、この時点では、アントニオ猪木はタイトルを返上していたが、かつてはアントニオ猪木と吉村道明によって、アジアタッグ選手権を保持していた。

そして、ジャイアント馬場とアントニオ猪木といえば、この時のインターナショナルタッグ選手権チームである。

つまり、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、吉村道明の3人は、2つの現、元のタッグタイトルでつながっているトリオなのである。

以下が試合結果である。

★日本プロレス
サマー・シリーズ
1968年7月7日
福島県会津若松市鶴ヶ城西出丸広場
・6人タッグマッチ(60分3本勝負)
ジャイアント馬場/アントニオ猪木/吉村道明(2-1)レイ・スチーブンス/スカル・マーフィ/マイク・ローレン
  1. (両軍リングアウト 21分24秒)
  2. 馬場(片エビ固め 4分55秒)ローレン

後楽園大会を落とした日本陣営は、キムイル大木金太郎に代わってアントニオ猪木が、山本小鉄に代わってタッグの名手、吉村道明が加わる事態に迫られた。

しかし、吉村道明がいる以上、コンビネーションは全く心配なし。トリオとしては日本陣営最強である。

外人陣営は、アジアタッグの挑戦が決まっているクロンダイク・ビルに代わってマイク・ローレンが登場。

試合の方は、1本目が両者リングアウトの後、馬場が決勝ラウンドを制した。
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