ジャイアント馬場とブルーノ・サンマルチノといえば、ほぼ同時期デビュー。日米で戦ったライバルであり、友人でもあります。そのブルーノ・サンマルチノが、現役のWWWF世界ヘビー級選手権者時代に日本プロレスに来日し、ジャイアント馬場と熱闘を繰り広げましたが、決着戦と言われた1968年8月6日の大阪市・大阪球場は雨で順延に。
来場したお客さんをただ返すのがしのびなかったジャイアント馬場は、試合はないのにリングに上って残念ポーズを取りました。
ジャイアント馬場とブルーノ・サンマルチノの日本での対決といえば、1967年3月2日、大阪府立体育館で行われたインターナショナル選手権が、しばしばテレビで試合の中継録画が使われることがあり、ファンには知られています。
人間発電所との熱戦は昭和プロレスの醍醐味が凝縮された!
結果は1対1の引き分けでした。
ブルーノ・サンマルチノによると、アメリカ時代の対決は覚えていなくて、友情が始まったのがアメリカ時代ではなくジャイアント馬場が帰国してから、ということですが、
プルーノ・サンマルチノが語った「ジャイアント馬場との話」新事実
この一戦で、お互いの信頼関係が深まったのかもしれません。
2人の対戦成績は、1勝1敗3引き分け。
その決着戦として、1968年8月に「サンマルチノ血戦シリーズ」が行われ、
8月6日に大阪球場で、インターナショナル選手権が行われることになっていましたが、あいにくの天気。
露天興行ですから、順延です。
まあ、お金は払い戻したのでしょうが、それでもわざわざ来場したお客に何か見せ場を作ろうとしたのでしょうね。
ジャイアント馬場がポーズをとっているわけです。
★日本プロレス
サンマルチノ血戦シリーズ
8月6日大阪市 大阪球場
雨天のため翌日に順延
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それにしても、降雨に顔をしかめる馬場は千両役者です。
そして、順延された試合は翌日行われ、3本目は場外乱闘の中、ジャイアント馬場がブルーノ・サンマルチノを鉄柱に叩きつけ、ギリギリでリングに上がるリングアウト勝ち。
てっきり引き分けかと思ったら、ピンフォールではありませんが勝負がつきました。
インターナショナル選手権は、ジャイアント馬場はボボ・ブラジルにタイトルをいったん奪われ、奪還してからすぐの試合でした
まあ、ニューヨークではそういう結果にはならないと思いますが、現役の世界チャンピオンを破ったことは、ボボ・ブラジルに敗れて、いったん奪われたインターナショナル選手権の権威付けとして大いに貢献しました。
ニコニコ動画に、その試合がアップされていますが、閲覧者は茶化さずに熱中していますね。
やっぱり、昭和プロレスは面白いのです
昭和プロレス、サイコーです。
2015-11-30 14:33
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この時代のプロレスは何かと鉄柱がついて回ります。
外人レスラーの反則三昧の極め付けが、場外→鉄柱→日本人レスラー流血…で、耐えに耐えた日本人レスラーがお返しの鉄柱、観客狂喜…でした。
観客もなんか殺気立っていて、馬場対サンマルチノの試合の映像でも、「馬場、鉄柱行け鉄柱?」なんて声が飛んでいます。
ちょっと腑に落ちないのは、サンマルチノが鉄さん攻撃からリングアウト負けした試合で、皮肉混じりに「日本のルールでは鉄柱にぶつけるのもOKなのか?」みたいな事を言っているのですね。
この試合では、馬場の方だけがなりふり構わない鉄柱攻撃で辛勝した印象があるのですが、あまりフェアじゃないと思いながらも、「たまにはアリかな?」と思って日本人レスラーの勝利を喜んだような気がします。
by ジャントニオ猪馬 (2015-12-03 15:34)
馬場さんのタイツの色が黄色ですね。
by ミスカラス (2015-12-05 20:56)