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スカル・マーフィー、クロンダイク・ビル組、アジアタッグ奪取!【1968.7.8】

スカル・マーフィ、クロンダイク・ビル組

スカル・マーフィーは、このシリーズのエース格、クロンダイク・ビルと組んで、日本プロレスの至宝であるアジアタッグ選手権を奪取した。昭和プロレス風に言えば、強奪した。今のプロレスファンなら、シリーズを盛り上げるために、いったんタイトルを外人に取らせたと読むかもしれないが、当時としては大変な出来事である。

アジアタッグ選手権というのは、もともと日本で誕生したタイトルである。正式にはオールアジアタッグ選手権という。

1955年11月、日本プロレスがアジアのシングル・タッグ両王者を決定するためのアジア選手権を開催して、優勝したキング・コング&タイガー・ジョキンダーが初代王者として認定された。

このことでわかるように、アジアタッグは、日本国内で誕生したタイトルであるが、外人に取らせるためのタイトルという見方もできた。

看板タイトルは、そう簡単にタイトル移動をさせてはならないが、当時の昭和プロレスは、あくまでシングルタイトルが看板であった。

力道山には、豊登というパートナーはいたが、やはり興行的には、あくまでも絶対王者の力道山の一枚看板であった。


タッグタイトルは、シングルタイトルの選手権を盛り上げるために、一時的に外人組に取らせるために使われることになったわけだ。

具体的には書かないが、力道山時代も、何組かの外人チームが選手権者になっている。

しかし、しょせんは日本で誕生した日本プロレスのタイトルだから、海外流出はしない。

しても、価値が無い。

だが、当時の昭和プロレスは、そうした面まで読まないから、外人組がタイトル奪取、さあ大変なことになった、となるわけである。

スカル・マーフィ、クロンダイク・ビル
「劇録馬場と猪木」(東京スポーツ新聞社)より

★日本プロレス
サマー・シリーズ
1968年7月8日
東京スタジアム
・アジアタッグ選手権(60分3本勝負)
スカル・マーフィ/クロンダイク・ビル
(2-1)
キムイル大木金太郎/吉村道明

東京スタジアムという大舞台で、外人組が由緒あるアジアタッグ選手権をかっさらってしまった。
シリーズ序盤から大変なことになった、というのが昭和プロレスとしての「正しい見方」なのである。

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コメント 2

ジャントニオ猪馬

マーフィーは異様な風貌もさる事ながら、リングの内外を問わず、狂気じみたエピソードの持ち主でした。
パートナーのクロンダイク・ビルは今は言うところの「しょっぱい」レスラーのイメージしかなく、マーフィーのパートナーとしては役不足でした。
やはりブルート・バーナードとのコンビでしょう。バーナードは、マーフィーほどの狂気は感じさせませんでしたが、凶器を角材で大木金太郎の耳の削ぎ落としかけたのは有名ですね。
(一説では故意にだったらしいです。)
昔は今よりもずっと強烈な個性のレスラー達がひしめいていましたね。
by ジャントニオ猪馬 (2015-11-12 00:46) 

昭和プロレス

>ジャントニオ猪馬さん
クロンダイク・ビルは、このシリーズ、馬場にも勝たせてもらったですね。
バーナードの角材事件は、大木金太郎も目立ちたかったのかなという気もしました。メインの試合がかすみましたからね。
大木金太郎は、猪木のようなストレートな形ではなく
馬場にライバル意識を持っていましたね

by 昭和プロレス (2015-11-13 01:17) 

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