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アジアタッグに暗雲、前哨戦で日本陣営敗れる【1968.07.05】

ジャイアント馬場とペドロ・モラレス

アジアタッグ選手権の前哨戦と言われたのが、本日の6人タッグマッチである。日本プロレスのサマー・シリーズは後楽園ホールで開催されたが、メインに登場した山本小鉄が、16文キックの生みの親といわれるスカル・マーフィに圧殺され、日本組は手痛い敗戦となった。

今サマーシリーズは、レイ・スチーブンスとスカル・マーフィーという、巧いレスラーがエース格で来日しているシリーズである。


ジャイアント馬場とスカル・マーフィー


スカル・マーフィーといえば、プロレスファンならお馴染み、あのジャイアント馬場の16文キックの生みの親といわれている。

馬場正平がアメリカ遠征時代、タッグを組んでいたスカル・マーフィーが、馬場にキックをしろと命じ、馬場がキックしたのがその始まりと言われている。
 昭和37年、ニューヨークのサニーサイドガーデンでのタッグマッチ。パートナーのスカル・マーフィが、まず対戦相手のカルロス・ミラノのボディにキックを叩き込むと、今度はロープに振り飛ばしながら馬場に声をかけた。 「お前もキックだ!」 (飛び込んだ私はとっさに左足を振り上げてミラノの胸板にカウンサー・キックを命中させた。これが予想以上のダメージを与えてミラノは立てず、私がフォールを奪って快勝した)(『王道十六文』)

ジャイアント馬場の16文キックは、大木金太郎も素直に脱帽している。
普通のレスラーは私の頭突き3回で倒れたのに、私が10回以上頭突きしても馬場はびくともしない。(中 略)ロープに投げつけられ、その反動で飛びかえる私に向かって彼の16文キックが腹部を直撃した。息が止まるようだった(『自伝大木金太郎』講談社)

ちなみに、32文の方は、ペドロ・モラレスが生みの親といわれている。

ロスアンゼルスの街を、32文ロケット砲の師匠といわれたペドロ・モラレスと闊歩するジャイアント馬場の写真も残っている。

ジャイアント馬場とペドロ・モラレス

当時の昭和プロレスは、日外対戦がメインであり、しかもたいていは日本人・善玉、外人・悪玉だったから、スカル・マーフィーやペドロ・モラレスのエピソードというのは、当時聞いた時には意外な気がしたものである。

しかし、アメリカ生活が原点のジャイアント馬場にとっては、特段珍しい話ではないのである。

抜擢された山本小鉄を圧殺


さて、試合の方であるが、メインは次のような結果である。

★日本プロレス
サマー・シリーズ
後楽園ホール
・6人タッグマッチ(60分3本勝負)
スカル・マーフィ/レイ・スチーブンス/クロングイク・ビル
(2-1)
ジャイアント馬場/キム・イル大木金太郎/山本小鉄

スチーブンス(体固め 7分8秒)馬場
馬場(片エビ固め 3分13秒)ビル
マーフィ(体固め 5分26秒)山本

レイ・スチーブンスとスカル・マーフィーがエース格のこのシリーズ。いきなり6人タッグマッチで登場した。

エース格が2人揃った外人組と、一方は山本小鉄が抜擢された日本陣営。

この試合は、アジアタッグ選手権前哨戦として注目された。

レイ・スチーブンスがジャイアント馬場をフォールして先制すれば、馬場はクロンダイク・ビルに貫禄勝ち。

しかし、最後はメインに抜擢された山本小鉄がスカル・マーフィーにやられてしまった。

2日後のアジアタッグ選手権に暗雲が垂れ込めたのである。


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