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NWA世界ヘビー級選手権、初めて日本で移動(1974年)の真相

NWA世界ヘビー級選手権といえば、昭和プロレスにとってもっとも権威ある団体が認定するタイトルです。力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田と挑戦し続けても取れなかったタイトルを、1974年12月、ジャイアント馬場が鹿児島でジャック・ブリスコを破って日本人として初めてチャンピオンになりました。『週刊大衆』(7月7日号)の「1964年のジャイアント馬場」では、ジャック・ブリスコが明らかにした、タイトル移動の真相を書いています。

週刊大衆7月7日号

いいことか悪いことかわかりませんが、今では、プロレスのチャンピオンベルトは商業的、政治的に移動・保持されている、という認識がファンにあります。

とくにNWA世界ヘビー級選手権は、プロモーターの組織が認定しているタイトル。プロモーターが指名し、チャンピオンは委託料を払ってそのベルトを保持。各テリトリーを回ることも明らかになりました。

NWA世界ヘビー級選手権は、ルー・テーズ対力道山戦以来、日本でも何度か行われていますが、1974年までタイトルが移動したことはありません。

ドリーファンクジュニア対アントニオ猪木が名勝負などと言われていますが、しょせんタイトルの移動はない、という結論は決まっていたのです。

それが、移動したのが1974年12月2日の鹿児島県立体育館。ジャイアント馬場がジャック・ブリスコを破りました。

『週刊大衆』(7月7日号)の「1964年のジャイアント馬場」では、具体的に、そこでどんな交渉が行われ、いくらのお金が動いたかを、日本では発売されていないジャック・ブリスコの自伝『BRISCO』から紹介しています。

試合自体はいい試合だった



試合を振り返りますと、ジャイアント馬場は1本目で必殺技の32文ロケットキックを早くも出して即効で先取。

2本目はジャック・ブリスコが得意技の足4の字固めでタイに。

そして3本目、足を痛めたことで、16文も32文も使えなくなったジャイアント馬場が、ジャンピングネックブリーカードロップで3カウントを奪いました。

1本目から32文を出したのは、ジャック・ブリスコの足4の字固めのイメージを大切にするため、ジャイアント馬場は足技をその前に出しておかなければならなかったからでしょう。

要するに、1本目が3本目の伏線になっている、きちんと3本目まで計算しつくされた試合だったのです。

私は、背景に何があろうが、そのような完成度の高い試合は好きです。

「悔しがる、マティ鈴木」という清水一郎アナのフレーズは、まさに中継スタッフもセコンド陣も、試合を支えていたことを示しており、あの盛り上がりは何度ビデオを見なおしても心地よいものです。

実は、その日は生放送だったため、ジャイアント馬場に勝利者インタビューを行っているのですが、ジャイアント馬場は、そのとき、ついうっかり、「お金を出して権利を買った」というような話をしていたと思います。

もちろんそれは、「勝利を買った」ではなく、あくまで選手権試合の開催する権利という意味でしたが、たぶんそれでもその当時のファンは、ちょっとひっかかったかもしれません。

前置きが長くなりましたが、連載の要旨はこうなっています。

・交渉役はテリー・ファンクだった
・当初は1万ドルという話だったが、ジャック・ブリスコはNWA本部に供託金を2万5000ドル預けており、1万ドルのために2万5000ドルを失うようなことはできないと断った。
・数日後、テリー・ファンクは「2万5000ドルのことは心配するな」と言ってきたので、ジャック・ブリスコは、具体的に移動費用は供託金と同額。それ以外に通常のギャラ(2000ドル)と馬場戦にはその4倍のギャラと滞在費用はすべてドルで欲しいと要求した
・ジャイアント馬場がそれを受け入れたことを確認したジャック・ブリスコは、サム・マソニック、エディ・グラハム、ジム・バーネットらにタイトルを移動させることを告げた


2週間弱のシリーズで合計で6000万円。ずいぶんふっかけたなあという印象ですが、ジャック・ブリスコによると、それまではNWA本部の命令で1晩25ドルで試合をしてきたそうです。

ジャック・ブリスコにとっては、一世一代のビッグビジネスチャンスだったわけです。

著者の柳澤健氏は、それを「少なくともジャイアント馬場と日本テレビが6000万円を高すぎるとは感じなかったことだけは間違いない」と書いており、スポンサーは日本テレビだったと指摘しています。

まあ、そうでしょうね。




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全日本プロレスは日本テレビによって設立されたと言っても過言ではないし、日本プロレス時代から、いろいろなアイデアを出していたのも日本テレビだったと当時のプロデューサーが述べています。

日本プロレスのダラ幹にしてはよく考えたなあ、と思うことが結構ありましたからね。

アントニオ猪木が、日本陣営対決を行い、ジャイアント馬場に挑戦を宣言しているので、ジャイアント馬場は世界を極めたのだ、ということだったんでしょうね。

ジャイアント馬場が膝にサポーターもせず、32文をサッと出せたのはこの頃まででしたから、そういう意味では世界チャンピオンのベルトを巻く最後のチャンスだったと思いますので、高いかどうかはわかりませんが、無駄遣いではなかったと思います。

繰り返しますが、私は、いかなる背景でも、あの試合自体はいい試合だったと思いますし、最後の盛り上げ方も素晴らしかったので、動いたお金で評価が変わることはありません。

昭和プロレス。いろいろあるのです。

週刊大衆 2014年 7/7号 [雑誌]

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 双葉社
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D.L.J

子ども心にブリスコってまったく強さが伝わってこなかったんですよね。
だから、馬場さんが勝って当然で、1週間後に負けたことのほうにびっくりしたくらいです。
YouTubeでブリスコの古い映像を見ると、よいレスラーだったことがわかるので、各プロモーターから信任されていたことはうなずけます。
テリーがNWAチャンピオンになったときも驚きました(まったく強さが伝わらない。ちなみに、そのときローリング・クレイドル・ホールドという技を知りました)が、このときもブリスコに金を渡したのでしょうかねぇ。
いや、彼の手に二度とベルトは戻らなかったのですから、ある程度の金を手にしたので単にチャンピオンでいることを辞めただけなのですかね。

それにしても、一方ではアリ戦のDVDが出て「あれは真剣勝負だった」などと煽られていて、同じ穴の狢なのになんか嫌な感じです。
by D.L.J (2014-07-24 09:34) 

トッキー

素晴らしいブログ、楽しませていただいています。昭和プロレスに夢を持ち続けているものとして、共感することが多いです。
高校1年のとき四日市駅の売店で「やった馬場、世界を奪う!」の中京スポーツの文字を見て、ホームを万歳して走ったあの時の感動は今でも忘れません。
by トッキー (2014-07-29 10:14) 

ジャントニオ猪馬

ブリスコは、あのルー・テーズが高く評価していましたが、自身は全くと言えるほどにプロレスを割り切って考えていたらしいです。
だからといって馬場対ブリスコの名勝負が今になって霞むわけではないでしょうが、個人的にはブリスコはもっと長くチャンピオンでいてほしかったですね。
by ジャントニオ猪馬 (2015-03-16 23:23) 

ジョニーA

マイブログにトラバ&リンク&引用、貼らせてもらいました
不都合あればお知らせくださいませ
なにとぞ宜しくお願い申し上げます!m(._.)m
by ジョニーA (2015-07-18 04:38) 

アジアのバカ大将

ブリスコは、対猪木のUN戦でジャーマンをモロにくってましたね。ドリーファンクも、前年に同じ技をくいましたが、冷静に受け身を取っていたのがプロレス雑誌の写真で確認していました。すでに20回位、ドリーのNWAタイトルに挑戦していたはずですが、対猪木戦の比較で、「ドリーより弱い。チャンピオンになれない」という感想を持ちました。
テリーは、やはり猪木戦で得た感想は「ケンカが強そう。こいつ、兄貴のポリスマンだろう」。猪木に、変な落とし方のパイルドライバーをかけた時、感じました。
by アジアのバカ大将 (2015-08-17 21:38) 

HONDA

NWAの限界が見えた王座移動 でした。私は大学1年でそろそろ「プロレスそのものが見えてきた時代」であり。中学2年の12月の 「馬場VSキニスキー」のときに そのあと ロスで V/Fエリックと馬場が戦うのが決まっていたので「東京で馬場が勝ち ロスでエリックにNWA王座を回す」なんて こと考えましたが、結局NWAは テーズに頼りすぎたのかもしれない テーズー>ハットンー>オコーナーー>ロジャースの後にテーズをもってきたので うさん臭くなってしまった、キニスキーはよい王者でしたが その後 jr->レイスー>ブリスコと強さを感じない王者を継承したことで どんどん 厚みがなくなった。このS49年の 馬場のNWA冠催は NWA自身の地盤沈下にもなったような気がする。
by HONDA (2020-11-29 23:55) 

Jame

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by Jame (2022-01-24 20:12) 

Antje

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by Antje (2022-01-30 21:18) 

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by Crystle (2022-02-20 12:20) 

Kevin

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by Kevin (2022-02-26 06:20) 

Deloras

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by Deloras (2022-03-13 12:18) 

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