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『マイクは死んでも離さない』昭和プロレスを振り返る倉持隆夫氏

『マイクは死んでも離さない』昭和プロレスを振り返る倉持隆夫氏
『マイクは死んでも離さない』(新潮社)といえば、18年間、全日本プロレス中継実況を担当した倉持隆夫氏の著書です。日本テレビを定年退社後はスペインに渡り、1年半前に帰国したという倉持隆夫氏ですが、どんなエピソードを経験し、どんな思いでプロレスと関わってきたかが書かれています。

倉持隆夫著
「マイクは死んでも離さない」(新潮社)


以下敬称略で書きます。

倉持隆夫は、もともとプロレス好きではなかったものの、先輩の徳光和夫に勧められ、プロレス担当になったといいます。

その話をするのに、徳光和夫に酒席に招かれたというのですが、同じサラリーマン同士が、会社の異動で、前任者が新任になるかもしれない人を接待しなければならないということは、それだけプロレス担当は、なり手がいなかったのかもしれないと思いました。

それにしても、その勘定は会社が持ってくれるのでしょうか。

それはともかく、倉持隆夫はプロレスの技もわからず、全日本プロレス以外の興行にも足を運び、レスラーに技について聞いたそうです。

当時の実況では、よく技の間違いをファンから指摘されていましたね。

そして実況は、大先輩の清水一郎や越智正典に学んだといいます。

同じ時期に、新日本プロレスの実況を務めた古館伊知郎と比べられることもありますが、本人にそんな気はありません。

視聴率を気にかけ、日本テレビに借金に来る“リアルなジャイアント馬場”を見ていたものの、局からは、ジャイアント馬場はスポーツ選手と割り切って放送しろと言われ、それに徹したそうです。

実況では、ジャイアント馬場を最大限持ち上げ、褒めちぎり、美化していた倉持隆夫ですが、内心は複雑だったようです。

宮仕えが大好きというわけではないので、定年後再就職はしなかったものの、かといって日テレ在職中フリーにもなりませんでした。

要するに、倉持隆夫という人間は、高度経済成長・終身雇用の時代に会社を支えた真面目なサラリーマンの典型なのです。

ですから、本文も資料を調べてきっちりまとめています。

当時、プロレスについても懸命に勉強したのでしょう。

プロレスラーとも親しく付き合い、彼らを愛そうとした努力が書かれています。

アントニオ猪木のファンであることも告白しています。

しかし、やはり、あとがきを見ると、結局プロレスを好きになれなかった本音が示唆されています。

面白いけれど、寂しさも否定できない昭和プロレス本です。

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昭和プロレス語りべの一人


当時のスポーツ報知には、以下のような書評が入っていました。

すでに消えているので、一部引用します。

流血アナが10年ぶりの"実況中継"...倉持隆夫著「マイクは死んでも離さない」
白い口ひげをたくわえ、ダンディーなスペイン住民になっていた倉持隆夫さん アナウンサーはジャーナリスト(取材者)か? それともエンターテイナー(出演者)か? プロレスの黄金期を実況した元日本テレビアナウンサーの倉持隆夫さん(69)が初の著書「マイクは死んでも離さない」(新潮社、1575円)を出版した。かつて悪役レスラーに襲撃され額を15針縫った"流血アナ"が、10年ぶりに表舞台に姿を見せ、低迷するスポーツ中継の復興を願った。
 日本テレビを定年退職してから、倉持さんはスペイン・セビリアで暮らしている。9年間の異国体験を生かして老後の生活スタイルを提案する著書を構想していたが、舞い込んできた執筆依頼は「プロレス回顧」だった。「失望が半分ありました。プロレスは終わったんですよ」
 日テレのプロレス中継は昨年3月、55年の歴史に幕を下ろした。ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さん、三沢光晴さん...歴代エースは鬼籍に入った。放送席の元エースは「プロレスに"筋書き"があることは僕も否定しない」と宣言しつつ"古き良き時代"を優しく振り返った。行間からにじみ出るのは、アナウンサーという人種の葛藤(かっとう)だ。
 1980年5月2日、後楽園ホール。アブドーラ・ザ・ブッチャー対ザ・シークの場外乱闘に巻き込まれ、流血、失神、病院送り、15針縫合という目にあった。やらせではなかった。米国ではアナウンサーも興行の出演者というショービジネス。日本でもそうだと勘違いしたシークの暴走だったことを、馬場さんからの謝罪で知らされたという。
 報道部は事件扱いし、実父は日テレに猛抗議した。だが倉持さんは、襲撃される瞬間、切られやすいように自ら額を突き出し"プロレス的受け身"を実践したとか。「アナウンサー民族というのは、性質は出たがり屋ですから」米国と同じ"エンターテイナー"としての役割を自任していた。
 反面、非情なジャーナリストでもあった。2000年5月13日、ジャンボ鶴田さんがマニラで死亡したという未確認情報が入った。人脈を駆使してウラ取りに走った。情報を伝えると、マニラ支局のスタッフは棺おけの中までたどり着いた。直後に鶴田さんの夫人から「死に顔は流さないで」と電話で泣きつかれた。「特ダネですから、報道局が聞いてくれないのはわかっていた。後味の悪い報道局長賞でした」いまだに夫人とは和解できていない。
 現在暮らしているスペインでは、サッカー、ハンドボール、闘牛が3大スポーツで、地上波のテレビ中継が充実しているという。昨年4月からは何とプロレス(WWE)中継がスタートした。一方、日本では王道だったプロ野球巨人戦ですら地上波中継が激減。かつてプロレス実況のライバルだった古舘伊知郎はニュースキャスターに。「はがゆいですね。スポーツ中継は難しい時代。でも民放の老舗(日テレ)が受け継いできたスポーツ実況の精神はなくさないでほしい」それは「人間味のある優しさ」、そして「心の襞(ひだ)に触れるモノの見方」という。
http://hochi.yomiuri.co.jp/book/news/20100126-OHT1T00045.htm

最近では、帰国し、

【元・全日本プロレス中継アナウンサー】倉持隆夫「作られたスポーツを実況するということ」
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar783680

というインタビューにも登場しています。

「作られたスポーツ」というのはプロレスのことでしょうね。

倉持隆夫は、プロレスラーのロープワークが理解出来なかったそうです。

まあ何にせよ、倉持隆夫も、昭和プロレスに名を残す実況アナウンサーです。

『マイクは死んでも離さない』。まだご覧になっていない方は是非どうぞ。

マイクは死んでも離さない―「全日本プロレス」実況、黄金期の18年

マイクは死んでも離さない―「全日本プロレス」実況、黄金期の18年

  • 作者: 倉持 隆夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2010/01/01
  • メディア: 単行本

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コメント 1

ジャントニオ猪馬

プロレス名場面珍場面集で、「倉持アナウンサーの額が割れました!」って実況がされてしまったのが笑いのネタになっていましたが、シャレにならないほどのケガだったんですね。
プロに徹した方でもありました。
実は猪木ファンだったってのはちょっと意外でした。
by ジャントニオ猪馬 (2017-11-21 23:10) 

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