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『プロレス総選挙2021』のジャイアント馬場とアントニオ猪木

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プロレスについての投票もしばしば行われているのは、、私も参加しているFacebookグループ『昭和・平成・令和★なんでもベスト5!』です。タイトル通り、グループに参加している人々がお題に応じてベスト5を任意に投稿するものです。





プロレス関連の投票(投稿)結果について、引用してご紹介させていただきます。

やはりというか、アントニオ猪木が1位


『昭和・平成・令和★なんでもベスト5!』は、メンバーも263人になりました。

昨年暮れには、『プロレス総選挙2021』が行われ、多くの人が投票(投稿)しました。

今回は、①日本人②外国人③ジュニア戦士④女子プロ⑤団体、の5つの設問でした。


その結果は、以下のように発表されています。

【 各3位以上 】
① 1位 ア ン ト ニ オ 猪 木 15票
2位 ジ ャ イ ア ン ト 馬 場 11票
3位 ジ ャ ン ボ 鶴 田 4票
② 1位 ス タ ン・ハ ン セ ン 10票
2位 ハ ル ク・ホ ー ガ ン 6票
3位 ビッグバン・ベイダー 3票
アブドーラ・ザ・ブッチャー
③ 1位 獣神サンダー・ライガー13票
2位 初 代 タ イ ガ ー マ ス ク11票
3位 藤 波 辰 巳 (当時) 5票
④ 1位 豊 田 真 奈 美 4票
2位 ダ ン プ 松 本 3票
キ ュ ー テ ィ ー 鈴 木
神 取 忍
⑤ 1位 新 日 本 プ ロ レ ス 19票
2位 全 日 本 プ ロ レ ス 12票
3位 国 際 プ ロ レ ス 5票

詳細は、OGPをクリックしてグループにご参加の上。ご確認ください。

まあ、どうしてもこうした投票は、馬場か猪木か、という選択が大きなポイントになりますね。

となると、やはりアントニオ猪木が有利になってしまうように思います。

ただ、単純な比較はどうなのかな、という気がします。





全盛時も哲学もキャリアの質も違うBI


BIと並び称されますが、2人は全盛時が違いますし、新団体設立の背景も全く違います。

アントニオ猪木は、日本プロレスを除名されて、自宅を道場にして切羽詰まった旗揚げをしました。

人間は、どん底になると逆に思わぬ力を発揮できるものです。

げんに、アントニオ猪木としての真のハイライトはそこからです。

アメリカ修行時代は、ジャイアント馬場のようにトップスターになれず稼げませんでしたが、寂れたプロモーションで苦労したことで、ローコスト(報酬の安い無名外人)で運営する団体経営の手法を覚え、「強くなる」ことを純粋に考えレスリングを貪欲に追求し、いわゆるストロングスタイルという日本で受けるレスリングスタイルも身につけることができたのではないでしょうか。

一方、ジャイアント馬場は、むしろアメリカ時代が全盛で、BIといわれた頃からは、その惰力でゆるやかに坂を下っていったような選手生活でした。

何しろ、38歳で引退するつもりだったわけですから。

そして、全日本プロレス設立も、日本プロレスから求められて作ったに過ぎません。

アメリカで、トップレスラーとして儲かるサーキットでいい思いをしたために、アントニオ猪木のように「勉強」する機会もなく、よって全日本プロレス時代は、既存のスター外国人を呼ぶしかノウのない興行で、新日本プロレスに水を開けられただけでなく、コストばかりかさみ、親会社の日本テレビにはいつもお金を融通してもらいに言っていたそうです。

「なんだ、じゃあ、やっぱり、アントニオ猪木>ジャイアント馬場じゃないか」と思いますか。

ところが、そう単純なものでもないと思います。

身体能力は、ジャイアント馬場>アントニオ猪木、というのは、現場の共通した声ですよね。

日本プロレスの経理部長だった三沢正和さんは、「ナチュラルには馬場」と言っていますし、両者を知っているアポロ菅原さんは動画で、ジャイアント馬場が「鈍い」ことを否定しています。

たとえば、2人のドロップキックを比較してください。

馬場一強の頃の32文ドロップキックは、頭の位置がが足より上にありましたからね。

年齢とともにだんだん高度も下がってきましたが、それでも、少なくとも片足は相手の喉元や顎に入るように決めているのはさすがです。

アントニオ猪木にできますか。

もちろん、細かい技はアントニオ猪木のほうが収まりがいいと思います。

ただ、見栄えのする派手な技は、BIとはいってもやっぱりジャイアント馬場でしたね。

また、日本プロレス出身でアメリカで成功したレスラーである、ザ・グレート・カブキ、タイガー戸口、ミスター・ヒト、キラー・カーンらは口を揃えて、「プロレス頭」はジャイアント馬場が上である、と言っています。

ジャイアント馬場本人からも、当時の「猪木のプロレスは生真面目」と言われていたほどです。

つまり、アントニオ猪木は、レスラーとしてジャイアント馬場にかなわなかったので、ジェラシーとコンプレックスがあり、そこから自分のスタイルを生み出し、新日本プロレスで全面開花したわけです。

アントニオ猪木は、力道山がえこひいきしたとハチノアタマとか言っていますが、要するに自分自身が「かなわないな」と心のなかで思うところがあったのだと思います。

で、猪木がゃっと自分のスタイルを確立した頃、ジャイアント馬場はゆっくり下り坂……。

そこをとらえて、猪木>馬場、というのはフェアではないでしょう。

もちろん、こうした投票で、誰かを選ばなければならにないこともありますが、そのときはもう、どっちが上が、ではなくて、どっちが好きか、ということでいいと思いますね。

みなさんなら、どなたに投票されますか。






1964年のジャイアント馬場 (双葉文庫) - 柳澤 健
1964年のジャイアント馬場 (双葉文庫) - 柳澤 健

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫) - 柳澤 健
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