SSブログ

ターザン後藤はどうして馬場の全日本プロレスに戻れなかったのか

ターザン後藤はどうして時事の全日本プロレスに戻れなかったのか
ターザン後藤が、16日の『新婚さんいらっしゃい』に出演したことで、キーワードが急上昇しました。プロレスラーがバラエティ番組に出演することなど、めずらしいことではありませんが、昭和プロレスならともかく、すでに“過去の人”だったターザン後藤が出演してキーワード急上昇とは驚き、というよりも“過去の人”だからこその注目度上昇だったのかもしれません。




ところで、ターザン後藤というと、昔からのプロレスファンにとって疑問だったのが、どうしてジャイアント馬場は、ターザン後藤を全日本プロレスに呼び戻さなかったのか、という話です。

もしかしたら、「結婚」が原因でターザン後藤は戻れなかったかもしれないので、それが今回の『新婚さんいらっしゃい』出演で改めて注目されるのは皮肉めいている、という気がします。

それはともかくとして、まずはその『新婚さんいらっしゃい』についてから。(上の画像は『新婚さんいらっしゃい!』より)







これは、ツイートのまとめ記事です。

ターザン後藤がトレンドワードに!どうなってんだ2017年!!
https://tr.twipple.jp/y/cb/ac/%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%B3%E5%BE%8C%E8%97%A4-img.html

そして、Web掲示板のまとめ記事です。

ターザン後藤が「新婚さんいらっしゃい!」に新婚さんとして出演

ターザン後藤夫妻
Youtubeより

昭和プロレスファンには、今更かもしれませんが、ターザン後藤こと後藤政二のプロフィールを振り返ります。

1981年に大相撲を廃業してジャイアント馬場の全日本プロレスに入門。

ターザン後藤というリングネームが付いた頃、アメリカ遠征に出たものの、ジャイアント馬場はいつまでたってもアメリカから呼び戻してくれない。

島流し→リストラを悟ったターザン後藤は、やはり全日本プロレス出身で、新団体FMWを興した大仁田厚の誘いで日本のリングに復帰。

有刺鉄線電流爆破デスマッチで、血だらけになりながら長髪を振り乱して相手に襲いかかるファイト内容が「鬼神」と呼ばれたが、大仁田厚の2度目の引退の直前(1995年)に、ミスター雁之助やオーニタ・ジュニア(市原昭仁)らと退団。

以後はIWAジャパンなどインディ団体に出場していたが、少なくともこの20年、プロレス雑誌のトップを飾るような活躍はなかった。

それでも、流行キーワードになったのは、

1.連休中で芸能ネタがなかった
2.昭和プロレスファンが覚えていて懐かしさがあった
3.2のうちデスピナ・マンタガスとの離婚を知らない人がいた

といったところでしょうか。

スポンサーリンク↓

帰国させてもらえなかったのは結婚したからか?


当時の昭和プロレスファンが後藤から連想するものは、FMW時代の「鬼神」ぶりと、アメリカから呼び戻してもらえなかった不遇な経験でしょう。

新日本プロレスにしろ、全日本プロレスにしろ、アメリカ武者修行と称して、若手レスラーを劣悪なテリトリーに放り出すことがあります。

そして、日本の団体がいかにすばらしいかと認識させて、帰国後は恭順を誓わせて独立させないようにしたのです。

一方、エリートレスラー、または見どころのあるレスラーは、全日本ならファンク道場、新日本ならゴッチ道場に預けました。

いずれにしても、一定期間で帰国するのですが、中にはなかなか帰国命令が出ない場合がありました。

とくに全日本プロレスの場合、ミスター桜田(後のケンドー・ナガサキ)、佐藤昭雄、伊藤正男、後藤政二、越中詩郎などがそうです。

この場合、越中詩郎だけはなんとなくわかります。

一緒にメキシコに行った三沢光晴が、タイガーマスクとして急遽帰国しました。

越中詩郎を戻しても、三沢光晴の活躍を目の当たりにするだけです。

といっても、会社に越中詩郎をプッシュする余裕はありません。

だから、まだ戻せない。

これはなんとなく分かります。

しかし、あとの3人はわかりません。

とくに、ジャイアント馬場の付き人で、日本プロレスから行動をともにした佐藤昭雄、生え抜きの後藤政二の“島流し”は解せません。

彼らに帰国命令が出ない理由は謎とされていましたが、理由は「結婚」ではないでしょうか。

今回のターザン後藤は再婚です。

渡米中、佐藤昭雄はベティ・ニコライという女子プロレスラーの大御所と、ターザン後藤もデスピナ・マンタガスという女子プロレスラーと結婚しました。

桜田一男も向こうの女性と結婚したといわれます。

伊藤正男は全く消息がわかりませんが、アメリカの生活に慣れた頃、そんな話があってもおかしくはありません。

おそらく3人は、ジャイアント馬場に対して、結婚を事後報告、もしくは無報告だったのでしょう。

自分には子供がおらず、必ず選手の仲人を務めてきたジャイアント馬場にとっては、もしかしたら彼らが「一言の相談もなしに結婚した」ことが、内心愉快でなかったのかもしれません。

ジャイアント馬場という人は、人間関係について非常にセンシティブなところがあり、ファミリー的なつながりを大事にする人です。

だが、小さい頃から苦労してきたからか、他人に対しては用心深く、信頼関係を構築するまではかなり時間がかかります。

そして、自分を裏切ったりないがしろにしたりする人は、絶対に許さないという不寛容な人間でした。

いずれにしても、ターザン後藤もいろいろありましたが、とにかく今、結婚して幸せな日々を過ごしているようです。

本職のプロレスはどちらかというと不遇だっただけに、この日は初めてプロレスをやっていてたよかったと思えた1日かもしれません。
nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0)  [編集]
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
Copyright © 昭和プロレス今昔 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。