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日本プロレスの末期の“レスラー名鑑”懐かしさと寂しさが入り交じる

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日本プロレス、といっても最近のファンにはわからないかもしれませんが、現在の諸団体のルーツと言っていい、力道山が作ったプロレス団体です。ジャイアント馬場もアントニオ猪木も大木金太郎も一緒にやっていましたが、最後は馬場も猪木も坂口征二も抜けて崩壊しました。ところで、その馬場や猪木が抜けた後の日本プロレスについてのツイートを発見したので、OGPを転載します。(上の画像は下のOGPより)



かなり貴重な画像ですが、プロレス雑誌からの転載なのでしょうか。

チャンピオンを最前列にして、全員集合という写真自体珍しいですね。

まだ、大木金太郎がインターナショナル選手権のベルトをしていないので、センターはユナイテッドナショナル選手権者の坂口征二になっています。


では、前列左からいってみましょうか。

アジアタッグチャンピオン・吉村道明。

ユナイテッドナショナルチャンピオン、アジアタッグチャンピオン・坂口征二

オールアジアヘビー級チャンピオン・大木金太郎

2列目は、左から、ミツ・ヒライ、グレート小鹿、高千穂明久、松岡厳鉄、上田馬之助、星野勘太郎、

タイトルホルダー3人を支えるバイプレーヤーたちですが、もっとも若い高千穂明久がセンターであることに注目です。

高千穂明久は、この後、坂口征二が抜け、ユナイテッドナショナル選手権をとっています。

3列目は、やはり左から、小沢正志、戸口正徳、安達勝治、永源遥、桜田一男、羽田光男。

このへんは、プロレスファンなら名前をご存知でしょう。

最後列ですが、左から伊藤正男、木村聖裔、大城大五郎でしょうか。

昭和47年秋頃の、NWAタッグリーグ戦あたりに撮影したものであると思われます。

何となく、当時わ思い出して懐かしくなります。

昭和プロレス、すばらしいですね。



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コメント 2

HONDA

S47年の暮れに 馬場がおいていった インターの争奪戦を「金一VSブラジル」で「石頭決定戦」というサブタイトルつけてやったのをNETで見た(高校3年生)ときに日プロはもう無理やな・・と思うた。なんで坂口にインターをまかさないのか?不思議でしょうがなかったけど 裏で坂口と猪木が合体するという動きがあったのですね。とにかくこの写真のころにもっと本気で「立て直し」に動いていたら ・・・と思う次第です。
by HONDA (2020-12-04 22:18) 

昭和プロレス

UNは坂口だったので、大木金太郎がインターは自分が、と頑張ったのかもしれませんね。
by 昭和プロレス (2021-06-03 22:46) 

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