SSブログ

NWFが「世界4大タイトル」だった頃を思い出しPWFの順位も考える

202202070652.png

NWF(National WrestlingFederation)がNWA、WWWF、AWAと並んで「世界4大タイトル」だった頃、『Wrestling Review』誌の1975年6月号で、そのレーティングが紹介されています。当時の懐かしいレスラーの名前も見ることができます。






Wrestling Review誌の1975年6月号の格付け


レスラー、トレーナー、プロモーター、作家、カリフラワーアレイクラブの理事会ディレクター、CAC初のトレーナーズアワードの受賞者であるRon Hutchisonさんのツイートが、昭和プロレスファンの間で話題になっています。

これが、そのツイートです。


翻訳も、ツイッターが行ったものをそのままご紹介します。
いつだったのか... Wrestling Review誌の1975年6月号で、NWA、WWWF、AWAと並んでNational WrestlingFederationのランキング。
各団体が、公式に発表しているわけではなく、あくまでプロレス専門誌が順位付けをしているだけですが、その当時、活躍していたレスラーを知るよすがとなります。

では、注目の順位はどうなっているでしょうか。

NWA


NWA(NATIONAL WRESTLING ALLIANCE)
チャンピオン-Jack Brisco(ジャック・ブリスコ)
contender(挑戦者)
1-Dory Funk, Jr.(ドリー・ファンク・ジュニア)
2-Tim Woods(ティム・ウッド=ミスター・レスリング)
3- Bobo Brazil(ボボ・ブラジル)
4-The Sheik(ザ・シーク)
5- Dom De Nucci(ドン・デヌーチ)
6-Pampero Firpo(パンピロ・フィルポ)
7-Harley Race(ハーリー・レイス)
8-Terry Funk(テリー・ファンク)
9-Bill Watts(ビル・ワット)
10-Gene Kiniski(ジン・キニスキー)

1975年(昭和50年)というと、ジャイアント馬場が戴冠した翌年です。

ティム・ウッド=ミスター・レスリングは、前年に全日本プロレスの第2回チャンピオン・カーニバルに来日し、ジャンボ鶴田らを破って準優勝していますが、決勝戦でジャイアント馬場に敗れると、マスクを脱いでいました。

キラー・カール・コックスと違い、にわかマスクマンではないので、当時びっくりしました。

この年も、第3回チャンピオン・カーニバルに来ていますね。

ドンデヌーチやパンピロ・フィルポらが、ハーリー・レイスやテリー・ファンク、ジン・キニスキーらよりも上にいるというのは意外な気もします。

日本とアメリカでは、必ずしもレスラーの序列は同じではありませんからね。

NWF


NWF(NATIONAL WRESTLING FEDERATION)
チャンピオン-ANTONIO INOKI(アントニオ猪木)
contender(挑戦者)
1-Johnny Powers(ジョニー・パワーズ)
2-Seiji Sakaguchi(坂口征二)
3-Tiger Jeet Singh(タイガー・ジェット・シン)
4-Pat Patterson(パット・パターソン)
5-Johnny Valentine(ジョニー・バレンタイン)
6-George Cannon(ジョージ・キャノン)
7-Emie Ladd(アーニー・ラッド)
8-Karl Gotch(カール・ゴッチ)
9-Lou Thesz(ルー・テーズ)
10- Johnny Kin-caid(ジョニー・キンケイド)

これは、新日本プロレスの意向が反映した記事のような気がしますね。

坂口征二やタイガー・ジェット・シンなどの評価が高いから(笑)

カール・ゴッチやルー・テーズも入っていますが、下位です。

たぶん、“本場”アメリカとしては、すでに過去の人だったのではないでしょうか。

WWWF


WWWF(WORLD WIDE WRESTLING FEDERATION)
チャンピオン-BRUNO SAMMARTINO(ブルーノ・サンマルチノ)
contender(挑戦者)
1-Killer Kowalski(キラー・コワルスキー)
2-Jay Stronghow(チーフ・ジェイ・ストロンボー)
3-Andre the Giant(アンドレ・ザ・ジャイアント)
4-Don Leo Jonathan(ドン・レオ・ジョナサン)
5-Pedro Morales(ペドロ・モラレス)
6-Dean Ho(ディーン・ホー)
7-George Steele(ジョージ・スティール)
8-Tony Garea(トニー・ガレア)
9-Larry Zbyszko(ラリー・ズビスコ)
10--Victor Rivera(ビクター・リベラ)

すでに、この時点でアンドレ・ザ・ジャイアントが上位に来ているんですね。

新日本プロレスが提携するのは1976年ですから、この頃はまだ全日本プロレスがニューヨークのレスラーを呼べたので、ちょうどこの格付が発表された頃、キラー・コワルスキーは第3回チャンピオン・カーニバルに、ブルーノ・サンマルチノとともに来日しています。

ドン・レオ・ジョナサンも、この年の暮れのオープン選手権に来ていますし、前年にはMSGシリーズにペドロ・モラレスが参戦しています。

AWA


AWA(AMERICAN WRESTLING ASSOCIATION)
チャンピオン-VERNE GAGNE(バーン・ガニア)
1-Baron Von Raschke(バロン・フォン・ラシク)
2-Nick Bockwinkle(ニック・ボックウインクル)
3-Roy Stevens(レイ・スチーブンス)
4-Crusher Li-sowski(クラッシャー・リソワスキー)
5-Chris Taylor(クリス・テイラー)
6-Ivan Putski(イワン・プトスキー)
7-Horst Hoff-man(ホースト・ホフマン)
8-Buddy Wolf(バディ・ウォルフ)
9-Greg Gagne(グレッグ・ガニア)
10--Ken Patera(ケン・パテラ)

バロン・フォン・ラシクの評価が高いですね。

チャンピオンになれなかったのは残念です。

クラッシャー・リソワスキーが、まだ第4位で頑張っています。

ホースト・ホフマンは、三沢光晴のお気に入りでしたね。

オープン選手権で、ジャイアント馬場が優勝を決めた相手ですが、ジャイアント馬場は「(ホースト・ホフマンに勝って優勝と言っても)ピンとこないんだよな」とインタビューで言っていたのが印象に残ります。

日本では、大型のジャイアント馬場が長らくエースだったので、ペッパーゴメスとか、レイ・スチーブンスとか、アメリカでは評価が高いのに、日本では大きなチャンスがないレスラーが何人かいました。

日本でも


日本では、東京スポーツが、月1度発行していたタブロイド判の『プロレス特集号』で、各団体のレーティングを発表していましたね。

最初は、遠征組も含めて「所属選手」全員に順位をつけていましたが、後に海外組は別枠になったと記憶しています。

所属レスラーが増えてきたことと、遠征組の各レスラーのテリトリーの水準も活躍ぶりもまちまちで、所属選手と一緒にして順位付けするのはむずかしくなったんでしょう。

ということで、1975年当時の全日本=PWFの順位付けを独断と偏見で行ってみます。

チャンピオン-ジャイアント馬場
1-アブドーラ・ザ・ブッチャー
2-ジャンボ鶴田
3-ザ・デストロイヤー
4-ディック・マードック
5-マーク・ルーイン
6-キング・カーティス・イヤウケア
7-マシオ駒
8-グレート小鹿
9-大熊元司
10-高千穂明久
11-サムソン・クツワダ
12-サンダー杉山
13-マティ鈴木
14-ミツ・ヒライ

まだこの頃は、マシオ駒、ミツ・ヒライ組が極道コンビに勝っていましたから、マシオ駒が元気だったら、復活アジアタッグ選手権初代(通算第28代)チャンピオンチームは、マシオ駒、ミツ・ヒライ組だったかもしれません。

みなさんは、どんな順位をつけられますか。






日本プロレス70年史 昭和編 - 週刊プロレス
日本プロレス70年史 昭和編 - 週刊プロレス

昭和プロレスファンあるある [ 昭和プロレスファンあるある委員会 ] - 楽天ブックス
昭和プロレスファンあるある [ 昭和プロレスファンあるある委員会 ] - 楽天ブックス
nice!(0)  コメント(0)  [編集]
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Copyright © 昭和プロレス今昔 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。