『吸血鬼が愛した大和撫子ーフレッド・ブラッシーの妻として35年』(三耶子ブラッシー著、栄光出版社)。たぶん、プロレスファン、とくに昭和プロレスファンならすでに読まれて入ると思いますが、改めてこのブログでも、私の感想も含めてご紹介イタします。(上の画像はGoogle検索画面より)
今日のFacebookで、ジャイアント馬場が、フレッド・ブラッシーに水平うちをしている画像が投稿されました。
そして、コメントではこんなやりとりがついています。
これは馬場の水平チョップですか
(^-^)なんでやねん、とツッコんでいるところかもしれません。
吸血鬼ブラッシー。いたそ。(>_<)
でかいですよね馬場手。こんな手でツッコミ入れられたら…。
ですよねー。(*^^*)でも、相手は、ブラッシーですから、いつ噛まれるかわからないので、必死なんでしょうね。(^-^)/
投稿されたのはプロレスグループではなかったのと、投稿者もプロレスファンというわけでもないのでしょう。
でも、昭和プロレスファンからすると、それこそ「なんでやねん」ですね。
そんな簡単なもんじゃねえぞ、というツッコミを入れたくなります。
『
1964年のジャイアント馬場』(柳澤健、文藝春秋社)によると、馬場正平が1961年に最初のアメリカ遠征に出た頃、あの力道山にも殴られたことがないのに、馬場正平はグレート東郷に下駄で殴られていた。
それを見て、フレッド・ブラッシーは気の毒に感じて関心を持ち、以来、フレッド・ブラッシーは、ジャイアント馬場が、嘘をつかない真面目な信用できる人間であると思ったそうです。
ジャイアント馬場率いる全日本プロレスの旗揚げシリーズは、ロサンゼルスのミスターモトですら、日本プロレスに遠慮して協力を見送る中で、フレッド・ブラッシーは、ブルーノ・サンマルチノやテリー・ファンクらとともに参戦しました。
手薄な日本陣営の中で、ナンバー2を担わなければならない大熊元司やサンダー杉山らを相手に連敗。
全日本プロレスの基礎中の基礎を作ってくれました。
ジャイアント馬場は、自分で下駄を使って手を殴って鍛えたといいます。
ボボ・ブラジルや、大木金太郎らが頭を鍛えるときも相当過酷なことをしたそうですが、ジャイアント馬場も、やることはやっていたわけです。
そんな硬い手で思いっきり喉元にチョップを受けるブラッシー。
かつて、力道山に歯をおられたザ・デストロイヤーや、バッドニュース・アレンに喉を潰されたラッシャー木村のように、喉元の攻撃は、まかり間違えれば取り返しがつかないことになります。
Facebookに投稿された画像は、ジャイアント馬場に対するフレッド・ブラッシーの深い信頼の証明の一葉でもあるのです。
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フレッド・ブラッシーとのリアルな35年間
ということで、かなり前置きが長くなりましたが、冒頭の『吸血鬼が愛した大和撫子ーフレッド・ブラッシーの妻として35年』(三耶子ブラッシー著、栄光出版社)です。
日本人女性の両角(もろずみ)三耶子さんが、いきなりアメリカ社会にとびこみ、老いるスターレスラーとの国際結婚生活を送りながら、日本女性として恥ずかしくない毎日を生きてきた、という話です。
プロレス的には、2人の出会いは、第7回ワールドリーグ戦にフレッド・ブラッシーが来日したときから話が始まります。
三耶子さんは着物を着ていて、フレッド・ブラッシーとすれ違ったらしいのですが、フレッド・ブラッシーはそこで三耶子さんに一目惚れ。
当時、ガイジンレスラーを担当していたジョー樋口を通じてアタックをかけたそうです。
フレッド・ブラッシーが51歳、三耶子さんが24歳。
まあ、そういうのは、傍から見ると一時的な「のぼせ」、ましてやフレッド・ブラッシーには離婚できない妻が当時いたそうですから、なかなか成就はしにくいものですが、ミスター・モト(岩本勝、アメリカ名はチャーリー・イワモト)の仲人で婚姻以来、結果的に35年連れ添ったのですから立派なものです。
昭和プロレスファンにとっては、今更かもしれませんが、フレッド・ブラッシーに触れておくと、力道山が活躍していた頃、アメリカ・ロスアンゼルス地区(WWA)で世界ヘビー級チャンピオンとして君臨したレスラーです。
得意「技」は、噛みつきと急所打ち。
そして、相手レスラーだけでなく、観客を罵倒するマイクパフォーマンス(アジテーション)。
「よく聞け、このヘタレ野郎ども!」
「観客の男どもはバカばかり。こいつらはどうしようもない奴らだ。避妊の大切さがわかるだろう」
エキサイトした観客は、フレッド・ブラッシーが叩きのめされるのを観るために会場に足を運びます。
観客から憎悪を買う悪役レスラーの悪党人気です。
プロレスラーにとって大事なことは、テクニシャンか、反則魔か、ショーマンスタイルか、ストロングスタイルかではありません。
要は、どれだけ集客できるパフォーマーかということです。
とくにアメリカは、興行収入のパーセンテージでファイトマネーが支払われるので、集客できるスターは、他のレスラーからも尊敬されます。
その点で、フレッド・ブラッシーは一流レスラーだったのです。
それだけでなく、フレッド・ブラッシーは相手の血が映えるよう髪を銀髪に染め“銀髪鬼”に。
1962年に来日した時は、ヤスリで歯を研ぐというパフォーマンスを見せました。
日本のプロレス中継で、老人がショック死したと話題になった件では、「レスラーとしてのキャリア全体では92人が心臓麻痺で死んでいる。俺は100人を目指してたんだが、だめだったな」(『プロレス社会学』同文館出版)とうそぶきました。
いったい、どれだけ悪党だよ、と思わせますが、リングを降りると、私生活は信義や情に厚く、約束を守る誠実な人間であったそうです。
冒頭に書いたジャイアント馬場との信頼関係などは、それを象徴的に示すものです。
といっても、本書はたんなる純愛物語でもなく、フレッド・ブラッシーを神格化しているわけでもありません。
たとえば、フレッド・ブラッシーは誠実で几帳面な人で、実は「ショック死」にも心を痛めていましたが、一方、偏食で、また人にものを教えるのはあまり得意ではないという欠点も明らかにしています。
そして、結婚したのが現役晩年のため、結婚生活の多くは、ケガの後遺症や病気の療養の時間だったことも告白しています。
美化だけで通す嘘くささのない、スターレスラーであるフレッド・ブラッシーのリアルな姿や、国際結婚の難しさを楽しさとしてしまう三耶子夫人の前向きな生き方などが描かれています。
ちなみに、前述の旗揚げジャイアントシリーズは夫妻で来日し、前夜祭のレセプションにも夫妻で参加しました。
ジャイアント馬場と歓談していましたが、マスコミが近づくと、さっと表情を変えて、立食のフォークをジャイアント馬場に向け、「聞け変態野郎。俺はババの長い身体を二つ折りにしてやる」と、さっそくネタを提供したところもプロです(笑)
その光景は、具体的な号数は失念しましたが、『日本プロレス事件史』に収載されています。
プロレスファンでなくても、お勧めできる一冊です。
篠原リングアナのコールで日プロのリングに上がっていた頃の記憶がありますが、あの当時でもう結構な御歳なのに、存在感が凄かった…と言ったら美化し過ぎでしょうか?
本国アメリカで、罵声を浴びせてきた高齢の女性に「母さん、家に帰れよ。」なんて絶妙な返し方…!(「1964年のジャイアント馬場」より) あれほど個性的なレスラーはもう二度と現れないでしょうね。
by ジャントニオ猪馬 (2016-11-09 09:19)
いつもながらの素晴らしい内容に感謝するばかりです。さて、不躾な質問ですが、シャチ横内、アンドレ(モンスター・ロシモフ時代)ビル・ロビンソン、アニマル浜口などにみられる(あのヨーロピアンスタイルのような)一風変わった、ドレスコスチューム(?)は何というのでしょうか?又、ルチャ・リブレのマスクを一枚、購入したのであのコスチュームも欲しいなどと馬鹿なことを考えています(笑う)何か、お教え頂けますでしょうか。
by いらっしゃいませキムドク (2016-11-10 17:29)
いつも興味深く、拝読しております。不躾な質問がございます。シャチ横内、アンドレ(モンスター・ロシモフ)、アニマル浜口、ビル・ロビンソンなどの選手が着用していた(ヨーロピアンスタイルの一風変わったリング・コスチューム)は何と言うのでしょうか?ルチャ・リブレのマスクを一枚、購入したので、ついでにあのへんてこりんな服(?)も欲しいのですが・・・どう思われますか?
by いらっしゃいませキムドク (2016-11-10 19:33)