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天龍源一郎、全日本プロレスに電撃復帰【2000.07.02】

天龍全日本復帰

天龍源一郎の引退が話題になっています。天龍源一郎が、阿修羅原と龍原砲で活躍したのは80年代後半なので、それは昭和プロレスの範疇に入るかもしれませんが、今回天龍源一郎絡みで改めて思い出したいのは、2000年の全日本プロレス電撃復帰の時です。これはもう、ファンの誰もがびっくりしたのではないでしょうか。



三沢光晴が社長になって1年後、選手やスタッフのほとんどが大量に離脱しました。

かなり前から準備はされていたようで、すでに選手は契約をしておらず、離脱後はすぐに日本テレビも打ち切りを決めました。


残った選手は、川田利明、渕正信、マナウケア・モスマンの3人。

いったいそれで興行が成立するのか、と誰もが思います。

大量離脱後の新シリーズ第1戦はディファ有明。川田利明と渕正信の暗い試合がメインでした。

そして翌日の第2戦。聖地後楽園ホールで、馬場元子社長がリングに立ちます。



「こんな事態を招いてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

改めて全日本プロレスを応援してくだすっているファンの皆様に、心からごめんなさいを言わせていただきます。

ホントにごめんなさい。

今回の問題で1度は全日本プロレスの28年の歴史に幕をおろすことも真剣に考えましたが、残ってくれました川田選手、渕選手、モスマン選手、そして外人選手の人たちに励まされ、もう1度全日本プロレスを再スタートさせる勇気を与えられました。

この状態の中で私たちは、そう大きな目標を掲げることはできません。

でも、馬場さんが残してくれた全日本プロレスを、なんとか30周年が迎えられるよう、精一杯頑張ってまいりますので、これからも全日本プロレスを、みなさんの力で(ホッとため息をはさみ)支えてください。よろしくお願いいたします。(拍手)

ありがとう

今回の再スタートにあたり、アタクシ自身どうしても、皆様の前で、川田選手と握手をしていただきたい方が、今日、来ていただいております。

(ほぉっという観客の声)

ご紹介させていただきます。天龍源一郎選手です。

(どぁーっという観客の声援)」

天龍源一郎がリングに上がり、川田利明、渕正信、マナウケア・モスマンと順番に握手。

そして、いったん腰のあたりで手を拭いてから、馬場元子さんと握手。

これはもう、ホントにサプライズでした。

当時、天龍源一郎は、「馬場さんにお線香を上げに来た」と、ファンやマスコミを喜ばせるイキな言葉を述べましたね。

そして、以後の全日本プロレスは、従来通りの外人に、インディの選手もリングに上がるカオス状態。

新日本プロレスと交流を持ち、武藤敬司が半分移籍したような状態から、結局選手スタッフを数人引き連れて移籍。

馳も全日本残留。

馬場元子社長の2年間というのは、それまでの鎖国と品格重視の全日本プロレスの反動が来たような、不思議な2年間でした。

でも、その時代を懐かしいというファンは意外と多いんですよね。

この時期をよく乗り切れたと思います。

もちろん、馬場元子社長の意地もあったでしょうが、やはり全日本プロレスのファンは優しいということでしょう。

そして、そのような心優しいファンに支えられる団体に育て上げたジャイアント馬場の手腕は、改めて評価されるべきだと思います。

天龍源一郎は、インタビューで、ジャイアント馬場やジャンボ鶴田について振り返ることがありますが、やはり、全日本プロレスに復帰したことで、話やすくなったのではないかと思います。

もし、袂を分かったままでは、語りにくかったのではないでしょうか。

その意味でも、この復帰はよかったと思います。

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