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菊池孝さん、死亡で語られる真相

菊池孝

菊池孝さんといえば、昭和プロレスの生き字引。昭和プロレスの訃報です。79歳にして人生の幕を閉じたといいます。菊池孝さんはフリーのプロレスライターをしながら、個々のレスラーとも関係が深く、かつては国際プロレスの広報の仕事も手伝い、国際プロレス中継では解説もつとめてました。昭和プロレスライターとしてはおなじみの人です。


菊池孝さんは、ジャイアント馬場との関係が深かったことがいわれますが、その一方で天龍源一郎の理解者でもあり、天龍源一郎がSWSに行ったり、全日本プロレス復帰後も、世界タッグのベルトを投げつけて馬場元子さんに注意されたりしたときも天龍源一郎に理解を示す立場をとりました。

また、大木金太郎が、日本プロレスから全日本プロレスに合流していったん離脱後も、再び新日本プロレスから全日本プロレスに「復帰」する際は、菊池孝さんに相談したといいます。

その菊池孝さんの訃報を東京スポーツが伝えています。
「日本最古参のプロレス評論家」菊池孝さん逝く
東スポWeb 9月4日(火)14時23分配信
「日本最古参のプロレス評論家」として、半世紀以上にわたって活躍したプロレス評論家の菊池孝さんが1日、入院中の東京都内の病院で誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため死去した。3日に遺族が発表した。79歳だった。
 菊池さんは神奈川・横須賀市出身。1956年に北海道・室蘭民報の社会部で記者としてのキャリアをスタートさせた。その後、大阪新夕刊のプロレス担当を経てフリーに転向。本紙でも長くコラムを連載した。東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞選考委員も長年務め、ご意見番的存在だった。
 現役記者では、ただひとり全盛期の力道山を取材。また"世界の16文"故ジャイアント馬場さんを「馬場ちゃん」と呼び、馬場さんからの信頼も厚かった。
 亡くなる1か月前まで会場に足を運ぶ"現場主義"を貫き、選手や関係者からの信頼度も抜群だった。 【坂口征二新日本プロレス相談役の話】オレが業界に入った時(1967年日本プロレス入団)から辛口な評論をされてた。普通はヨイショしたりするのに、毒舌でね。でもだからこそ信頼できた。プロレスのことをよく分かってくれてた。新日本として7日の後楽園大会で10カウントゴングを鳴らすことを決定しました。ご冥福をお祈りします。

菊池孝さんに以前、「プロレスラーで誰と一番親しいですか」と尋ねたことがあります。

すると答えは、「やっぱり馬場ちゃんだね」ということでした。

ジャイアント馬場と親しいということは、公然のことでした。

昭和プロレスのライターとしては当然かもしれません。

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しかし、冒頭に書いたように、天龍源一郎がSWSに行ったときは、ゴングで書いていたせいもあって、ターザン山本とはもちろん、竹内宏介氏とも少し違ったスタンスをとっていました。

つまり、天龍源一郎寄りでしたた。

その後、SWSが崩壊すると、また全日本プロレスとの距離は近くなり、ジャイアント馬場の書籍のゴーストライターをつとめ、ジャイアント馬場が亡くなったときも全日本プロレスの後見人のような立場で物を言っていました。

ところが、ノアが分裂して天龍源一郎が出戻ると、また天龍の理解者(要するにアンチ馬場元子)としてのスタンスをりました。

少なくとも、全日本プロレスと接点ができてからは、ジャイアント馬場主義一辺倒だった竹内宏介氏とは、その意味でも違いました。

天龍革命以降の菊池孝さんは、おそらく今同じ質問をしたら「源ちゃんだね」と言ったかも知れません。

昭和プロレスがまたひとつ終わった。

菊池孝さんの生前のご遺徳をお偲び申し上げたいと思います。

誰も書かなかったプロレスの内側 (1982年)

誰も書かなかったプロレスの内側 (1982年)

  • 作者: 菊池 孝
  • 出版社/メーカー: シャピオ
  • 発売日: 1982/12
  • メディア: -

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