ニック・ボックウィンクル氏が亡くなったというニュースは、昭和プロレス的には見過ごせません。14日(日本時間15日)に亡くなったことが16日に判明したそうです。元AWA世界ヘビー級選手権者。全日本プロレスの常連というイメージがありますが、それにしては、ハリー・レイスやロードウォーリアーズのように、全日本プロレスが管理するタイトルを保持したことはありません。
『東京スポーツ』(2015年11月18日付)によると、ニック・ボックウィンクルはミネソタ州セントポール出身。
父親のウォーレン・ボックウインクルもプロレスラーで、少年時代から父親と同門だった元NWA世界ヘビー級選手権者の“鉄人”ルー・テーズに英才教育を施され、10代でプロレスデビュー。
陸軍やオクラホマ大学に在籍しながら、プロレスを続けていた学生レスラーだったそうです。
なるほど、それで、日本プロレス時代にすでに来日していたわけです。
昭和プロレス的に語り継がれているのは、日本プロレスの第1回NWAタッグリーグ戦。
ジョニー・クインとのコンビで決勝に進み、アントニオ猪木・星野勘太郎組と65分の熱闘を繰り広げました。
ちなみに私は、そのときは、ジャイアント馬場、ミツ・ヒライ組が、アーニー・ラッド、ロッキー・ジョンソン組と決勝に進むのかなと思っていましたが、NET(テレビ朝日)のために開催したリーグ戦という「大人の事情」を後になって知りました。
第2回も、ジャイアント馬場、吉村道明組が、ずっとトップをはしっていたのに、最終戦になって、急にストレート負けして、決勝にアントニオ猪木、坂口征二組が浮上したのも、考えかみれば当たり前の話だったんですね。
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それはともかくとして、1972年に、バーン・ガニアからAWA世界ヘビー級選手権を奪取。
途中、取ったり取られたりがあって、4回王座についたそうですが、マネージャーのボビー・ヒーナンが手を出して反則負け防衛ということがしばしばありました。
ジャイアント馬場が、シカゴ・アンフィシアターで、アブドーラ・ザ・ブッチャーからPWFヘビー級選手権を奪還した時も、メインはニック・ボックウィンクルとバーン・ガニアのAWA世界ヘビー級選手権試合。
ボビー・ヒーナンに腹をたてたバーン・ガニアが、ボビー・ヒーナンの頭を思いっきり鉄柱に叩きつけ、ボビー・ヒーナンが、マットに血溜まりができるほどの大量の出血をしたことを覚えています。
2007年に、WWEの殿堂入りといいますが、やはりAWAのイメージが強いので、昭和プロレスファンとしてはピンと来ないところもあります。
げんに、その頃のニック・ボックウィンクルは、インタビューで、最近のレスラーは試合以外で物語を作るが、私たちは試合の中で物語を作った、というような話をして、あんにWWEのエンタメ路線に批判だったと思います。
私は、夫人の顔がスタンプされたシャツを着ていたことと、プロレスを離れてからは、保険のセールスマンになったことが印象に残っています。
日本とアメリカでは保険のイメージが違うかもしれませんが、元世界チャンピオンでも、保険のセールスをしなければならないのか、と思いました。
日本でも、元プロ野球選手が、元手の要らない事業として、保険の外交に転身することがあります。
ただ、稲尾和久氏のように、後援者がいれば成功しますが、そうでないと、なかなかむずかしい仕事です。
ニック・ボックウィンクル氏の生前のご遺徳をお偲び申し上げます。
2015-11-21 04:43
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共通テーマ:スポーツ
ニック、亡くなったのですか?
このブログの見出しを見て「え…もしや?」と直感しましたが…また1人、プロレスの黄金期のレスラーが鬼籍入りしたのですね。
ダーティー?ニックと呼ばれて、タイトルは反則負け防衛が常でしたが、ニックの強さ?上手さは試合内容を越えて伝わっていました。
by ジャントニオ猪馬 (2015-11-22 18:15)
先のコメント、文字化けしました。
「ダーティー」以後の「・(てん)」が全部「?」になってしまいました。
だけど本当に、ニックのようなレスラーももう現れないのでしょうか…?
シュートに長けていながら、滅多に懐刀を抜く事なく、相手も生かし、自らの力も(玄人受けですが)伝え、観客のヒートもかえるようなオールラウンダーは…?
by ジャントニオ猪馬 (2015-11-22 18:33)
そうですね。巧くて強いのでレスラーとしては最高にかっこいい人でした
by 昭和プロレス (2015-11-23 15:03)