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日本武道館、イベント使用の道を作った馬場対エリック戦

フリッツ・フォン・エリック

日本武道館といえば、文字通り武道の聖地として建設されましたが、一方ではプロレス興行や歌手の公演なども行われています。その魁となったのは、ファイティング原田(ボクシング)、ビートルズ公演、ジャイアント馬場(プロレス)の興行であった、と振り返るのは、『日本プロレス事件史 vol.18 会場・戦場・血闘場』(ベースボールマガジン社)における流智美氏の記事です。






『日本プロレス事件史 vol.18 会場・戦場・血闘場』(ベースボールマガジン社)では、プロレスの重要な興行に使われた会場と試合を振り返っています。

日本武道館については、その魁となった、1966年12月3日に行われたインターナショナル選手権、ジャイアント馬場対フリッツ・フォン・エリック戦の経緯と試合内容を紹介しています。

同誌によると、武道(柔道、剣道、弓道、なぎなた等)が1950年代になってから学校の正課として徐々に解禁。1959年に、武道の殿堂として日本武道館の建設が約40億円の予算をかけて着工されました。

1964年の東京オリンピックに使われた後、武道館建設の最高責任者である読売グループの総帥・正力松太郎により、読売グループにもメリットのある日本武道館のイベントが企画されました。

最初が、日本テレビが放送権利を持っていたプロボクシング・世界バンタム級チャンピオン、ファイティング原田の防衛戦(1965年11月30日、対アランエフドキン)。

観客は1万2000人、ほぼ満員だったそうです。

2番目は、正力松太郎が社主を務める読売新聞が主催者となった、1966年6月30日から7月2日にかけて行われたザ・ビートルズ日本初公演。

当時は、「長髪、ヒッピーまがい、不良のやる騒音のような音楽に、神聖なる武道館を貸し出してよいのか」という反対もあったそうですが、今も伝説のイベントとされています。

そして、「武道館・第三の矢」は、ジャイアント馬場。

相手として日本プロレスが招聘したのが、「まだ見ぬ強豪」“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックです。

頭蓋骨を握りつぶすように相手の顔面を締め付け(アイアンクロー)、エリックの指の間からは相手の顔面からの鮮血が……。

1966年12月3日に行われたその興行は、「エリック&武道館」のダブルインパクトが効果的で、前売り券開始と同時に切符は飛ぶような売れ行きとなったといいます。

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試合はどうなったか






さて、試合の方ですが、1対1からの3本目、リング外に落とされたジャイアント馬場が、怒ってフリッツ・フォン・エリックの右手を場外からイス攻撃。

それに対して、フリッツ・フォン・エリックは、椅子を奪い返すとジャイアント馬場の脳天に一撃。

沖識名レフェリーは、その行為をフリッツ・フォン・エリックの反則とみなして、ジャイアント馬場の手を上げました。

会場大歓声。

恐怖の鉄の爪との試合がやっと終わった、という安堵感もあるのでしょう。

でもまあ、突っ込ませていただければ、ジャイアント馬場のイス攻撃はよくて、フリッツ・フォン・エリックのイス攻撃は一撃で反則をとられるのは公正でないような気もしますが……。

もちろん、プロレスのレフェリーは、審判ではなく、3人目の演者ですから、試合の終わらせ方をどう判断するかはレフェリーの裁量です。

当時の、日本武道館の閉門時刻に合わせた判断とも言えます。

ただ、そのことを差し引いても、著者の流智美氏は、この試合を「名勝負」と呼ぶことには異論を示しています。

フリッツ・フォン・エリックは、NWA会長を勤めましたが、現役レスラーとしてはチャンピオン候補にはなりませんでした。

それは、相手を光らせることが上手ではないからだと流智美氏は指摘しています。

たしかに、ジャイアント馬場の、アイアンクローの受け方の巧さに比べると、フリッツ・フォン・エリックの守勢の際の試合運びは、何とも不器用な感じがします。

それは、この試合にかぎらず、この後何試合も行われたジャイアント馬場対フリッツ・フォン・エリックすべてにいえることです。

ただ、やはり「鉄の爪」は、当時子供心に怖かったですね。

後に、『ジャイアント台風』で、ジャイアント馬場とデュークケオムカが、フリッツ・フォン・エリックに血だるまにされた「オデッサの惨劇」を描いていますが、私は世代的に、この日本武道館の試合は記憶になく、事実上『ジャイアント台風』を本物より先に見ているので、フリッツ・フォン・エリックに対するイメージは相当インパクトがありました。

名勝負かどうかの判断はわかれるにしても、当時、「未知の強豪+鉄の爪」というインパクトは、日本武道館で集客するカードとしては、間違いではなかったのではないか、と私は解釈しています。

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2016/02/17
  • メディア: ムック

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ジャントニオ猪馬

確かに当時のビデオで見ると、エリックは32文ロケット砲に対してとても不恰好な受け身をとっています(16文キックやチョップにも同様でした)。
器用なレスラーでないけれど、あの人間離れした握力でのクローだけで会場を湧かす事ができた唯一無二の存在でした。名勝負と言い難いのは、先述したエリックの不器用さと、アイアンクローという技そのものの陰惨さもあったと思います。
by ジャントニオ猪馬 (2016-06-11 19:41) 

昭和プロレス

>ジャントニオ猪馬さん
>アイアンクローという技そのものの陰惨さもあったと思います。

そうですね。プロレス雑誌に、アイアンクローの指の間から
ものすごい鮮血が出ている写真を見て恐怖を感じました。
相手はボブエリスだったらしいですが。
子供の頃、怖かったのは、エリックのアイアンクロー、
シークの火炎殺法、あとコンビクトの巨体も脅威でした。
最後のは見掛け倒しだったようですが。

by 昭和プロレス (2016-06-18 04:56) 

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