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第6回ワールドリーグ戦は豊登の優勝

第6回ワールド・リーグ戦は春の祭典。昭和プロレスの目玉です。1964年05月12日に決勝戦が行われ、豊登がジン・キニスキーを破って初優勝を果たしました。これまでの5回はすべて力道山が優勝していましたから、ワールドリーグ戦優勝者こそが日本プロレス界のエースということがいえたわけです。

その意味で、昭和プロレスは力道山時代に続いて、今度は豊登時代を刻み始めたということでしょう。

ジャイアント馬場はやはり、カリプス・ハリケーンに敗れた1敗がひびきました。

カリプス・ハリケーンは、ジン・キニスキーとの直接対決に敗れたために決勝進出が出来ませんでした。しかし、豊登対ジャイアント馬場の戦いはありませんでした。

その点で、前にも書いたように、日本人同士の対決をしなかった不可解な星取りと言わざるをえません。

ただ、山本小鉄が後に、ジャイアント馬場対カリプス・ハリケーンの試合を昭和プロレスの名勝負として挙げているので、ジャイアント馬場の評価はかなり高くなったはずです。

第6回ワールド・リーグ戦を無事終えて、控室でジャイアント馬場と幹部達の記念写真です。

ジャイアント馬場のかっこよさと引き替え、遠藤幸吉のうさんくささといったらありません。

ジャイアント馬場と幹部達の記念写真
原康史『劇録馬場と猪木1』140ページより

いずれにしても、タッグのアジア・タッグ選手権とともに、シングルの柱がここに復活しました。興行的にもめどが立ってきたわけです。

この時点でジャイアント馬場は無冠ですが、このメンバーを見る限り、いちばん若くて頼りになりそうです。もし、ジャイアント馬場がアメリカに残っていたら、日本プロレスは存続できたでしょうか。幹部たちは、おそらく「これで日本プロレスをやっていける」とホッと胸をなでおろしたことでしょうね。



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それにしても、さっさと現役を引退し、楽になった遠藤幸吉の嘘くさい笑顔が、ダラ幹たちの何とも面白困った趣きを象徴しています。結局、この中で今も存命なのは遠藤幸吉だけなのです。

それにしても、やはり昭和プロレスは本当に素晴らしい。何を語っても楽しい。昭和プロレス万歳です。

激録 馬場と猪木〈第1巻〉両雄、アメリカ修行時代

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  • 作者: 原 康史
  • 出版社/メーカー: 東京スポーツ新聞社
  • 発売日: 1997/01
  • メディア: 単行本

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