昭和プロレスの父・力道山3回忌にあたる1965年12月15日、東京・大田区の池上本門寺に所属レスラーが集まりました。力道山がかつて住んだ大田区梅田(現在の都営浅草線西馬込車庫)のすぐそばに池上本門寺はあります。
力道山3回忌でレスラー一同です。日本プロレスレスラー勢揃い(クリックで拡大)
『激動の昭和スポーツ史10』(ベースボール・マガジン社)より
ここから、東京プロレス、国際プロレスなどに分かれていったわけですが、豊登やジャイアント馬場はもちろん、グレート草津も、サンダー杉山も、ラッシャー木村も、田中忠治もいます。上田馬之助、マサ斎藤、大熊元司、グレート小鹿雷三、ミツ・ヒライ、高千穂明久など、まさにオールスターです。
これは昭和プロレス的にお宝中のお宝写真かもしれません。
アントニオ猪木だけはアメリカ遠征中のため、ここにはいません。
時期的には、この後間もなく豊登が離脱します。そして、東京プロレスを作るわけですが、日本プロレスとしては、競合団体に対してそれなりの対抗措置はとったでしょうが、興行的にも戦力的にも、ジャイアント馬場という実質的なエースがいたのでそんなに心配はしていなかったのではないでしょうか。
ただ、多団体になれば、本来同じリングに立っていたものがバラバラになりますし、興行戦争に過剰なエネルギーを注ぐこともあります。
その意味で、昭和プロレス的には、本当の意味での古き良き時代はここまでだったといえるかもしれません。
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東京プロレスの後は国際プロレスができ、新日本プロレス、全日本プロレスと続き、結局老舗の日本プロレスはつぶれてしまうのですから。
そう考えると、昭和プロレス的にはお宝で楽しい1葉ですが、ちょっぴり寂しさもあります。
昭和プロレスは奥が深い。
2013-06-29 23:09
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