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ジャイアント馬場、遂に日本でルー・テーズを破る!

ジャイアント馬場といえば、だれしも認める昭和プロレスのエースです。ただ、ディック・ザ・ブルーザーを破ってインターナショナルチャンピオンになりましたが、タイトルを奪取したのが2本とも反則。初防衛戦は1-1の引き分けと、完勝ではありませんでした。その意味では、ベルトは取りましたが王者としての説得力がまだ十分ではありませんでした。

しかし、そのチャンスはすぐにやってきました。

ディック・ザ・ブルーザーと引き分けて初防衛に成功した次の防衛戦の相手は、なんと鉄人・ルー・テーズと決まったのです。1966年2月28日、東京都体育館。

ジャイアント馬場が昭和プロレスのエースなら、ルー・テーズは昭和プロレスの神といってもいいでしょう。

1本目は、昭和プロレスのエース・ジャイアント馬場が体固め。21分13秒。ヘッドロックをかけたままブリッジで固めました。

2本目はルー・テーズが体固めで取りました。2分45秒。もちろんバックドロップです。鮮やかに決まりました。

さあ、勝負は3本目です。

ルー・テーズがバックドロップにきたところをコーナーポストを蹴って潰し、両者が倒れこんだところをジャイアント馬場がルー・テーズに覆いかぶさって体固め。0分51秒。

遂に、昭和プロレスのエース・ジャイアント馬場がルー・テーズを破ったのです。

ジャイアント馬場がルー・テーズを破った

ディック・ザ・ブルーザー相手には完全勝利はできず、今後にテーマをのこしましたが、力道山以来日本プロレス界にとってももっとも強敵だったルー・テーズに2フォール勝ちしたことは、ジャイアント馬場が日本プロレスのエースとして戦っていく宣言ともいえました。

余談になりますが、この後豊登は日本プロレスを離脱、東京プロレス⇒国際プロレスにうつり、開幕シリーズでルー・テーズに完敗します。

その際、「あのテーズに勝った馬場はやっぱりすごい」とコメントしました。

よりによってライバル団体のエースを称賛したのです。これで国際プロレスは開幕シリーズから“終わりの始まり”を進んだといっていいでしょう。

巷間、グレート草津の失神試合放棄ばかりが取り上げられますが、実は国際プロレスが最後まで日本プロレスに勝てなかったのは、この豊登のジャイアント馬場再評価にあったのではないかと思います。

ただ、ケチをつけるわけではありませんが、ジャイアント馬場が2フォール奪ったのは当然としても、形としては技をかけた所をディフェンスしての勝利でした。



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ジャイアント馬場の場合、大物との対戦では、相手の自爆で勝つとか、完全決着がほとんどありません。昭和プロレスの春の祭典、ワールド・リーグ戦を6回優勝していますが、その全てがリングアウトや相手の自爆による決着です。

要するに、大物外人の商品価値を守ったのです。

昭和プロレスのエース・ジャイアント馬場の勝利は奥が深いのです。

それにしても、昭和プロレスは本当に面白い。
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