ジャイアント馬場が日本テレビの昭和の名物娯楽番組(当時)「底ぬけ脱線ゲーム」に出演。ジャイアント馬場と覆面男(ターザン・ゾロ)の楽しい対決が話題になりましたが、「東京スポーツ」(23年9月7日付)には、出演したときの記事が出ています。これはまたお宝記事ということができるでしょうね
昭和プロレスのエース・ジャイアント馬場は、全日本プロレス時代の晩年に、様々なバラエティ番組に出演しましたが、日本プロレス時代にもシリーズの合間にテレビには出ていました。<
このときは、第8回ワールドリーグが開催された年ですから1966年。アントニオ猪木は東京プロレスにおり、ジャイアント馬場に次ぐ2番手は大木金太郎、そしてアジアタッグのパートナーである吉村道明、さらにまだ現役だった芳の里が「底抜けチーム」を結成しました。
外人側も懐かしいメンバーです。日本語がわからないいけないので、そのうち1人はユセフ・トルコです。
同紙から引用します。
「舞台こそ格闘技の殿堂・後楽園ホールだが、巨大風船を抱えたジャイアント馬場と覆面男(ターザン・ゾロ)は戦っているワケではなく、何やら楽しそうだ。
これは1966(昭和41)年12月12日、当時の人気テレビ番組「底ぬけ脱線ゲーム」(日本テレビ系)の収録場面。パンシロンの看板(ロート製薬提供のため)の下、マイクを握るのは金原二郎アナウンサーだ。
後に前田日明が大仁田厚の電流爆破デスマッチ路線を「あんなモノ、底抜け脱線ゲームと一緒や」と非難したことがあったが、昭和40年代の日本プロレス勢は日本テレビとの関係もあり、かなり定期的にこの番組に出演していたのだった。
同年の暮れ、12月28日放送分には「プロレス特集」と称し、馬場、芳の里、吉村道明、大木金太郎が「底ぬけチーム」を結成。シリーズに来日中だったターザン・ゾロ、エディ・モレア(ジャック・クレイボーン=稲妻二郎の兄)、ルイス・ヘルナンデス(後のメディコ2号)とユセフ・トルコが「脱線チーム」として出場。
両軍は「振るえナンデス」(マッサージ器具を動かし小箱を片方の手から片方の手に動かすゲーム)、「ヘッド知ら~ず」(スチール板を4枚、頭にぶつけて割るゲーム)などの珍ゲームで対戦。馬場がゾロやトルコを容赦なく押し潰し、大木が石頭ぶりを発揮するなどして、底ぬけチームが快勝した模様だ。
「リキを殺す」「パパに棺おけを用意しておくよう伝えておけ!」など物騒な殺害予告は、来日した外国人選手の定番。だが昭和40年代後半にアントニオ猪木とタイガー・ジェット・シンが抗争を繰り広げるころまでは、案外と「リングを降りたらノーサイド」が定番だったのだ。(敬称略=毎週木曜掲載)「東京スポーツ」(23年9月7日付)」
↑スポンサードリンク
写真を見ても、古きよき時代という感じがしますね。
昭和プロレス、やっぱりサイコーです!
2013-07-01 21:00
nice!(4)
コメント(1)
トラックバック(0)
[編集]
共通テーマ:趣味・カルチャー
馬場が出たときには猪木は出ず、猪木がキャプテンのときは馬場は出ていませんでした。
猪木はブッチャーと闘い、リングの中央にある座布団に両サイドから上がり込み、どちらが先に座布団に座るかを競うものでした。
猪木がセカンドロープとサードロープの間をくぐってリングに入ろうとしたとき、ブッチはサードロープとマットの間を転がりながら入り込み、一足先に座布団に座ったのでした。
猪木は笑いながらブッチを後ろから押しますが、重いブッチはヘラヘラ笑って動じません。
誰もが猪木の勝利を確信していたでしょうが、このシングルマッチはブッチに軍配が上がりました。
昭和プロレス、楽しいですね。
by ぶっち (2015-08-08 21:02)