ボボ・ブラジル対ジャイアント馬場。1969年3月28日のプロレス中継のメインイベントである。インターナショナル選手権がかかっている。チャンピオンはボボ・ブラジル。挑戦者が日本のチャンピオン、昭和プロレスのエース、ジャイアント馬場である。
ジャイアント馬場は、ディック・ザ・ブルーザーを破って以来、インターナショナル選手権を連続21回防衛していた。まさにその21回のたたかいこそが、ジャイアント馬場の全盛期の戦いであった。
それが、1968年6月25日、愛知県体育館においてボボ・ブラジルの挑戦を受けたジャイアント馬場は1-2で敗れ、インターナショナル選手権を奪われてしまった。
同王座から転落したジャイアント馬場は、2日後の蔵前国技館でリターンマッチに挑んだ。その試合の模様である。
1本目はボボ・ブラジルが先取したが、2本目、あとがなくなったジャイアント馬場は、得意技である32文ロケット砲を3連発して1-1のイーブンにし、決勝の3本目はボボ・ブラジルの首がロープにかかるという「不運」でジャイアント馬場が辛勝。ボボ・ブラジルから2フォール取る事はできなかったが、とにかくタイトルは奪還した。
試合は1968年6月27日(蔵前国技館)のものだが、放送日は1969年3月28日次週から第11回ワールドリーグ戦にボボ・ブラジルが参加するために放送したものと思われる。
タイトルを取られて2日後に取り戻した。来日外人の価値を高めたり、マンネリを防いだりする意味で、昭和プロレス時代にはこういう展開はめずらしくはない。
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しかし、結果的か、意図的かわからないが、ジャイアント馬場の全盛期は、その21回の防衛まで、と評するものも少なくない。
なお、ジャイアント馬場は第11回ワールドリーグ戦でも、ボボ・ブラジルと引き分けたため優勝(4連覇)を逃している。
2013-06-22 03:00
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