SSブログ

力道山、どう刺され、どう亡くなったのか

日本プロレス.jpg

力道山刺殺の真相。これは、昭和プロレス、というより戦後史上の謎である。それを改めて論考したのが「週刊大衆」(3月26日号)に掲載されている「『昭和重大事件』スクープ回顧録」である。




記事によると、力道山はその日、高砂親方(元横綱・前田山)や若手レスラーらと赤坂の高級料亭でしこたま酒を飲んだ。

その後、21時半からラジオ出演。これは暴れて放送がお蔵入りになったという。そして、22時過ぎにTBSを出て、側近を率いて近くの高級ナイトクラブ「ニューラテンクオーター」に向かった。そこには力道山を刺した村田勝志がいた。そして、事件は起こった。

今日では、件家・大下英治による村田本人への取材や、目撃者である『ニューラテンクォーター』一の元社長・山本倍太郎の証言から、事件の顛末が明らかになっている。
 力道山はトイレの入口付近でホステスを口説いていた。村田がそれをすり抜けてトイレに入ると、力道山が、後ろからいきなり襟首を掴み、「足を踏みやがって」と絡んできたという。
 身に覚えのない村田が反論し、口論に発展。激昂した力造山を威嚇するため、村田は上着の胸に手を入れる。すると、力道山は突然「仲直りしようじゃないか」と態度を豹変させた。
 だが、24歳と若く、血気盛んな村田は和解を拒否。直後、力造山の鉄拳が村田の顎に炸裂した。吹き飛ばされた村田は壁に頭をぶつけ倒れた。そこへ力道山は馬乗りになったという。
 村田は命の危険を感じ、腰に装着していた登山ナイフを取り出し、力造山の左下腹部に突き刺した。
 力造山は刺された箇所を押さえ、立ち上がった。衣服から血が滲むことはなかった。村田はナイフを上着のポケットにしまい、立ち去っている。

スポンサードリンク↓

その後、力道山は「お忍び入院」ということで、産婦人科の山王病院に入院。別の病院から外科医を呼んで手術を受けたが、腹膜炎からの腸閉塞併発で15日に亡くなった。
いろいろな説が出回ったが、夫人の証言も加わり、今は医療ミス説が有力という。
村田勝志の裁判で、外科医はカルテを「紛失した」といって提出しなかったのだ。
現在では少しずつ変わってきたが、医療ミスが裁判で認められるのは、たとえ力道山といえどもむずかしかった。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

  • 作者: 増田 俊也
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/09/30
  • メディア: 単行本

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0)  [編集]
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
Copyright © 昭和プロレス今昔 All Rights Reserved.
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。