天龍源一郎が、ジャンボ鶴田やジャイアント馬場との戦いを週刊誌で振り返っています。『週刊大衆』(11月25日号)なんですが、集中連載60分一本勝負として「激闘昭和のブロレス『オレの“心の名勝負”』」というコーナーがあって、その最終回で天龍源一郎が、3つの試合を振り返っているのです。さて、その3試合とはいったいどのカードだと思いますか。
もう前の号なのでネタバレ御免で書きますが、ベスト1が「対ジャンボ鶴田」、ベスト2が「対ランディ・サベージ」、ベスト3が自分の試合ではなく「ジャンボ鶴田対テリー・ファンク」でした。
最後のカードは、テリー・ファンクがまだNWA世界ヘビー級チャンピオンり頃で、ジヤンボ鶴田試練の十番勝負の中のひとつである、1976年6月11日の試合でした。
天龍源一郎の話によると、この試合がプロレス入りのきっかけになったそうです。
それにしても、30年以上プロレスのキャリアがあるのに、ベスト3のうちの2試合、しかもひとつは自分が出ていない試合を挙げるほど、天龍源一郎にとってジャンボ鶴田の存在は大きかったんですね。
ジャンボ鶴田対天龍源一郎の戦績って、たしかジャンボ鶴田の3勝2敗ぐらいだと思いましたが、天龍源一郎の話から察するに、地力の差はもっとあったような感じですね。
さっそく、同誌からその部分を引いてみます。
ジャンボ(鶴田)とは、「鶴龍対決」と言われる一騎打ちも何度もしました。
毎回、“ジャンボより1㍉先に自分をお客さんに見せてやろう”って気持ちで闘っていたけれど、この最後の一騎討ちだけは、試合中に初めて「転んで(負けて)もいいや」って思った。実際、負けてしまったんですが、もう全日本を辞めようって気持ちがあって(この試合を最後に退団)、それと、どこか重なってしまったんです。
ジャンボというレスラーは、ひと言でいえば怪物。195㌢、130㌔の巨体なのにスタミナは豊富、アマレスでオリンピック代表になった技術もある。
僕は189㌢で当時110㌔くらいでしたから、ジャンボは楽だったと思いますよ。プロレスって、自分より大きい相手とやると、本当にキッいんです。ガツと組んだとそ背が高い相手だと、力が斜め上に抜けていってしまうし、グラウンドで身体を預けられるだけで動けなくなる。ジャンボにそれをされると、当時は“ファンに俺の弱い姿を見せようとしてるのか!”ってムカついていたなあ。
皆さんは意外と思うかもしれないけど、馬場さんと闘うのもしんどかったですよ。手足が長いし、体は重い。馬場さんがグラウンドでふざけて体重をグーツとかけてきたときは、「コノヤロー!」って本気で頭に来ましたよ(笑)。
ジャイアント馬場やジャンボ鶴田など、自分より体も大きく20キロ体重が違うと、同じヘビー級でも相当厳しいようですね。
プロレスは受けを見せなければならないので、当たり前のように対戦相手の技にかけられるシーンを私達は見ているわけですが、実際には、体重の差は大変なハンデなのですね。
そうしてみると、ヘビー級とジュニアヘビー級というのは、本来戦うなんてことはありえないことなんですね。
ジャイアント馬場はヘビー級以外認めていませんでしたが、三沢光晴は小川良成を抜擢してメインで戦っていました。
天龍源一郎ですらツラかったのに、小川良成がやりあうというのは、説得力としてどうだったのだろうか、と思いました。
小川良成の身体能力やプロレスセンスがいくらよくても、そして、三沢光晴がいくら気に入っても、それは少し無茶だったんじゃないかと。
ノアの凋落は、そんなところにもあったのかもしれません。
2013-11-24 16:28
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鶴田VS天龍の対戦は、以前にフュギュアを使って自身のブログに公開した事があります。手持ちのレスラーが不足していた為に、カブキとかテリー乱入したりとか展開はメチャクチャでしたが・・
http://youtu.be/MNuIZ0_JzqQ
by ミスカラス (2013-11-29 21:30)
ミスカラスさん。
動画拝見しました。
青いマットが微妙に汚れているのがリアリテイありますね。
by 昭和プロレス (2013-12-01 15:57)
身長209cmのジャイアント馬場絡みでは、例えば公称でも183cmだったザ・シーク(体重も110kg位)などは、さぞ体格由来の戦いにくさを感じていたのでは。 シークの場合、超ラフスタイルが身上ゆえ滅多に真正面から組み合ったりはしませんでしたが、それにしても25cm以上の身長差があった訳ですから・・・・ 初めての海外でのインターナショナルヘビー防衛戦(昭和44)並びにPWF世界ヘビー初防衛&第2防衛戦(昭和48)の挑戦者を務め、昭和のG馬場戦史上で一定の重要性を担った「アラビアの怪人」でありました。
by キャラメルクラッチ (2014-05-06 10:25)
キャラメルクラッチ さん。そういえばそうですね
でも当時は火を吹く恐怖感がありました。
ロスの馬場とのインター戦ではシークが1本目を
先取したので、勝敗自体も危ういという気にさせられましたし。
あとシークは来日しても最強タッグ以外長期滞在しなかったので
飽きられず、ボロが出ず、という感じでもありましたね。
by 昭和プロレス (2014-07-05 12:16)
相撲を続けていたら関脇にはなれたかな
by 荻谷竜 (2016-05-12 22:58)
荻谷竜さん
かなりのガタイなのですね!相撲取りは運動能力も高いと思っています
by お名前(必須) (2016-05-23 16:57)
しこ名は毒竜 得意技は もろ出し
by 荻谷竜 (2016-05-23 20:54)
荻谷竜さん。
もろ差しじゃないのですか
by キャメルクラッチ (2016-05-28 01:24)
もろに出しますよ 反則負けですが
by 荻谷竜 (2016-05-30 16:22)
荻谷さんはBIGなものを
by 笠井 (2016-08-10 01:45)
被ってますけど
by 荻谷竜 (2016-11-28 04:10)
俺もジェットマンとはライバルだった
by 竹内アドバイス(知ったか) (2018-02-22 18:58)
蝶野のSTFはクロスしたら誰も返せない
by 吉田敦 (2018-02-22 19:01)