ジャイアント馬場が記事になっています。『週刊実話』(2月13日号)の「俺達のプロレスTHEレジェンド」という連載記事で、その「第8R」にとりあげられているのです。それによると、ジャイアント馬場を追悼する施設ができるのではないか、という話です。そういえば、ジャイアント馬場は来年もう17回忌なんですね。はやいものですね。
何はともあれ、その部分を引用したいと思います。
ジャイアント馬場が亡くなったのは、1399年1月31日のこと。
「それ以降、元子夫人は『G馬場記念館を作りたい』と言ってきましたが、来年の17回忌には何か動きがあるかもしれません」(元・全日本プロレス関係者)
昨年8月、今の全日から三冠ベルトが馬場家へ返還されたのは、それに向けての準備だったか。その本名をとって“正平寺”なる寺院を建立するという噂もあるようだが、いずれにせよ昭和のプロレスファンにとって、その象徴である馬場を追悼する施設ができるとすれば喜ばしいことだ。
施設なら記念館でしょうね。寺院となると宗教施設ですからねえ、それはないように思います。だって、寺院にチャンピオンベルトを飾るわけにもいかないでしょうしねえ。
同誌には、こんなことも書いてあります。
「ノア独立後、『馬場家がケチだから選手たちが大量離脱した』なんて言われましたが、それは誤解。馬場さんは、ただ本場アメリカと同じように団体運営をしただけです。“選手を保険に入れてなかった”と言うけれど、そもそも手本にしたアメリカという国自体に国民皆保険制度がありません。『選手個人のキャラクターグッズのインセンティブを渡さなかった』というのも、昔はそんな概念自体がなかったわけです」
ジャイアント馬場が慎重なのは、〝知らないことはやらない〟ということだそうです。
ただ、保険はどうなんでしょうか。
阿修羅・原が現在年金生活者らしいのですが、それは、ラグビー(近鉄)、国際プロレス、全日本プロレス在籍期間中に、掛け金が25年に達したからもらえたとインタビューで語っていたのを見たことがあります。。
つまり、この間は、厚生年金&健康保険があったのではないでしょうか。
国民年金&国民健康保険だったら、自分が支払わなければいけませんが、その期間、もしくはそれ以外の期間に、きちんと収めていたとは思えません。
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何しろ、阿修羅・原は現役時代、金銭トラブルを起こしていましたし、全日本プロレス時代はそれで妻子と別れて合宿住まい。引退後は親の年金で食べさせてもらっていたわけですから、とても自分で支払えるようには思えません。
秋山準が1試合いくらではローンを組めないから年俸制にしてくれといったのに却下されたとか、グレート・ザ・カブキがギャラアップ500円だったといった話がネット掲示板ではよく出るのですが、一方で和田京平の本では、日本武道館で7回興行していた頃はボーナスが3回出たと書いていますよね。
つまり、固定給として出さずに、一時金として出していたわけですね。経営者としてはうまいですよね。
「選手個人のキャラクターグッズのインセンティブ」は、契約書にどう書かれていたか、ですよね。
ただ、アメリカをモデルにしたのなら、他団体移籍の違約金が年俸の5倍というのはちょっときつかったですね。三沢光晴が「奴隷じゃないんだから」というのはわかります。
ただ、そこまでしないと、レスラーたちが契約にいい加減だったことも確かです。むずかしいところですね。
いずれにしても、ジャイアント馬場記念館がもしできたら、日本プロレス時代のお宝もどんどん展示していただきたいです。
昭和プロレス、思い出すたび胸アツです。
2014-02-11 04:02
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松井記念館みたいに地元(馬場さんの場合は新潟県三条市)にできるんでしょうかね?実現するといいですね。
by お名前(必須) (2014-04-16 00:13)