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BI砲最後の1年がこの試合で始まった

BI砲といえばジャイアント馬場とアントニオ猪木。このコンビはインターナショナルタッグ選手権者チームだったわけですが、その最後の年の最初の防衛戦である1971年1月7日の試合後の写真を、『東京スポーツ』(2014年2月7日付)の連載「東スポお宝写真館」で掲載しています。当時を知っている人にとってはなんとも懐かしい一葉です。

もっとも、同紙の写真掲載の趣旨は違うんですね。試合が終わった後で、一般人がリングに上ってジャイアント馬場の汗をふいている、ということを見せたくて公開しています。

そういえば、リングに上ったの、放送席の背後に陣取ってテレビに写ろうとしたり、いろいろしましたね。

今の人はしないのでしょうか。というか、地上波放送は今や新日本プロレスだけで、しかも生中継はありませんから、仕込みでないハプニングはお目にかかれないかもしれませんね。

東スポ0208.png
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馬場さんの汗を拭う観客
BI砲V12に乱入



 写真は1971年1月7日、日本プロレスの大阪府立体育会館大会のメーンイベント終了後のひとコマ。ザ・ストンパー、ザ・ケンタッキアン組を挑戦者にインターナショナル・タッグ王座V12に成功したBI砲(ジャイアント馬場、アントニオ猪木)の姿だ。

 リング上にはセコンドのサムソン轡田、永源遥らとは別に、一般人風の男性が馬場の肩の汗をタオルで拭っており、これをパートナーの猪木や轡田、永源らがいぶかしげな表情で眺めている。実はこれ、試合後に興奮した観客がリングに上がってしまい、馬場をねぎらっている姿なのだ。この観客に悪意はない。だが直後にセコンド陣によってリング下へと下ろされたことは想像に難くない。

 ビートたけし(本紙客員編集長)のネタで「ウチの親父が足立区の体育館にプロレス貝に行って、一升瓶持ってデストロイヤーに殴りかかっちゃって、その姿をテレビ中継で見ていたオフクロが号泣していた」というのがあったが、1980年代中盤、つまりプロレスがゴールデンタイムでテレビ中継されていたころは、良くも悪くも興奮した観客がリングに上がったり、果敢にも悪役レスラーに殴りかかってしまったりという光景は決して珍しくはなかった。

 後に猪木は2003年大みそかの「猪木祭り」(神戸)で、年越し闘魂ビンタと題して、観客をリング内に呼び込んだものの、殺到し過ぎてしまった観客に収拾がつかなくなり「殺すぞ!」と怒鳴り、さらには「ハウス!」と命令するなど、メチャクチャな事態に陥らせてしまった経験がある。それほど「あうん」の呼吸が通じない一般客とのやり取りは、怖いモノなのだ。

 7日に開幕するソチ五輪では、テロへの警戒から会場で最大限の警備態勢が敷かれている。テロのような悪質なモノでなくとも、プロレスや大相撲といった観客席との距離が近い場所で行われる興行は、常にこの手の緊張感と背中合わせなのである。



ということなんですが、ところでインタビューしているアナウンサーは誰なんでしょうか。

NETの舟橋慶一アナかなと思いましたが、BI砲の頃はジャイアント馬場はNETには出ていないので、それはありえないことですね。

右端でリングを降りかけているのは日本テレビの清水一郎アナのようにも見えます。

まあ、そのほうが辻褄が合いますね。



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写真中央、ジャイアント馬場の右隣は星野勘太郎ですね。永源遙の左隣りは小沢正志ではないでしょうか。後のキラー・カーン。

右端の轡田友継は若いですね。

この翌々月(1971年3月26日)にアントニオ猪木が、ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムでジョン・トロスを破ってユナイテッド・ナショナルヘビー級選手権を獲得。

第13回ワールドリーグ戦は、前にも書いたとおり、すさまじいデットヒートでジャイアント馬場が優勝。そして、アントニオ猪木が挑戦表明。その年の年末のシリーズでザ・ファンクスにインターナショナル・タッグ選手権は奪われてしまいます。

昭和プロレス、懐かしいです。

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コメント 2

ミスカラス

永源遥って・・デヴューしてから引退までずっと前座レスラーでしたね。ある意味で尊敬しちゃいます。セメントは強かったのかな?。
by ミスカラス (2014-02-09 12:29) 

昭和プロレス

相撲出身だからある程度は強かったのかもしれませんね。
でもダニー・スパイビーと戦った時、スパイビースパイクを
出す前に3カウント自分からとられたのは興ざめでした。
痛い思いする前に負けちゃおうというのはプロ意識足りないですね。
by 昭和プロレス (2014-02-21 06:10) 

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