写真は1971年1月7日、日本プロレスの大阪府立体育会館大会のメーンイベント終了後のひとコマ。ザ・ストンパー、ザ・ケンタッキアン組を挑戦者にインターナショナル・タッグ王座V12に成功したBI砲(ジャイアント馬場、アントニオ猪木)の姿だ。
リング上にはセコンドのサムソン轡田、永源遥らとは別に、一般人風の男性が馬場の肩の汗をタオルで拭っており、これをパートナーの猪木や轡田、永源らがいぶかしげな表情で眺めている。実はこれ、試合後に興奮した観客がリングに上がってしまい、馬場をねぎらっている姿なのだ。この観客に悪意はない。だが直後にセコンド陣によってリング下へと下ろされたことは想像に難くない。
ビートたけし(本紙客員編集長)のネタで「ウチの親父が足立区の体育館にプロレス貝に行って、一升瓶持ってデストロイヤーに殴りかかっちゃって、その姿をテレビ中継で見ていたオフクロが号泣していた」というのがあったが、1980年代中盤、つまりプロレスがゴールデンタイムでテレビ中継されていたころは、良くも悪くも興奮した観客がリングに上がったり、果敢にも悪役レスラーに殴りかかってしまったりという光景は決して珍しくはなかった。
後に猪木は2003年大みそかの「猪木祭り」(神戸)で、年越し闘魂ビンタと題して、観客をリング内に呼び込んだものの、殺到し過ぎてしまった観客に収拾がつかなくなり「殺すぞ!」と怒鳴り、さらには「ハウス!」と命令するなど、メチャクチャな事態に陥らせてしまった経験がある。それほど「あうん」の呼吸が通じない一般客とのやり取りは、怖いモノなのだ。
7日に開幕するソチ五輪では、テロへの警戒から会場で最大限の警備態勢が敷かれている。テロのような悪質なモノでなくとも、プロレスや大相撲といった観客席との距離が近い場所で行われる興行は、常にこの手の緊張感と背中合わせなのである。
馬場・猪木の真実 (角川文庫―門茂男のザ・プロレス (6011))
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永源遥って・・デヴューしてから引退までずっと前座レスラーでしたね。ある意味で尊敬しちゃいます。セメントは強かったのかな?。
by ミスカラス (2014-02-09 12:29)
相撲出身だからある程度は強かったのかもしれませんね。
でもダニー・スパイビーと戦った時、スパイビースパイクを
出す前に3カウント自分からとられたのは興ざめでした。
痛い思いする前に負けちゃおうというのはプロ意識足りないですね。
by 昭和プロレス (2014-02-21 06:10)