ブルーノ・サンマルチノ。ジャイアント馬場との激闘や友情など、昭和プロレスを語る上では不可欠なレスラーです。『週刊大衆』(5月5日号)連載中の「1964年のジャイアント馬場」(柳澤健著)には、そのブルーノ・サンマルチノの現在のインタビューが出ています。中には「新事実」も含まれていてなかなか興味深い内容です。
ブルーノ・サンマルチノといえば、梶原一騎原作・辻なおき漫画の『ジャイアント台風』の中にも出てくるジャイアント馬場のライバルです。実際に日本に来てジャイアント馬場とも戦っており、その好敵手としての存在はプロレスファンならだれでも知っているでしょう。
ということで、『週刊大衆』(5月5日号)に書かれていることを要約すると、
・ババとの関係は、ヴィンス・シニアとの関係が悪くなっても大切だったからイノキのところにはいかなかった
・ババ以上のビッグ・ボス(プロモーター)を知らない。ババはレスラーから悪口を言われたことのないただひとりのプロモーターだったと思う。
・ニューヨーク時代はババのパーソナリティは全くわからなかった。「こいつはいいやつだ」と思うようになったのは初めて日本に行った1967年3月だよ。
・お互いの若手時代、「いつかふたりでMSGのメインイベントで戦おう」と誓い合った記憶はない
・ババの英語はノット・グッド。会話をするのは難しかった。日本に来てジョー樋口を通訳にして初めて本音で話し合った。リング外でも誠実で信頼できる人間。キャデラックをプレゼントしたこともある。
・ババがひとつの都市にとどまり、フレッド・ブラッシーのようなマネージャーがついたら、もっと大きなスターになった。でも日本で一番のレスラーとなって何十年にもわたって成功したわけだから帰国してよかったのかもしれない。
こんなかんじでしょうか。
要するに、プロモーターとして、レスラーとして、人間としてのジャイアント馬場に高い評価を与えている点は予想通りで、友情が始まったのがアメリカ時代ではなくジャイアント馬場が帰国してから、という点がこれまで伝えられていたことと違う「新事実」だったわけです。
ちょうどこの頃ですね。
1967年3月2日、於大阪府立体育会館
インターナショナル選手権
ジャイアント馬場(1-1)ブルーノ・サンマルチノ
詳しくは、「
人間発電所との熱戦は昭和プロレスの醍醐味が凝縮された!」をご覧ください。
でも、そうなると、日本で仲が良くなって、すぐにキャデラックをプレゼントしてしまうことになりますね。
ブルーノ・サンマルチノという人も、人がいいのかもしれません。
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ただ、言葉はわからなくても、仲良くすることはあります。
ジャイアント馬場とペドロ・モラレスの関係などはそうです。
32文のメンターともいわれていますよね。
だから、もしかしたら、ブルーノ・サンマルチノの記憶違いも絶対にないとはいえませんが、ただまあ、どちらにしても、何らかの悪意で嘘をつくということはないでしょう。
いずれにしても、これまで、いろいろな外国人がジャイアント馬場について語っていますが、プロモーターとして、レスラーとして、人間として、この3点で文句なしに絶賛しているのは、ブルーノ・サンマルチノとハリー・レイスです。
あとは、スタン・ハンセン。
ザ・デストロイヤーもおおむね高い評価を与えていますが、覆面世界一のタイトルと、息子の処遇で少しだけ不満を述べていますね。
ジン・キニスキーもジャイアント馬場の悪口を言ったことがありませんし、そうしてみると、東京ドームの「ジャイアント馬場引退試合」に「出場」した人々は、適切な人選だったといえるのかもしれません。
昭和プロレス、奥が深いです。
2014-04-24 14:43
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馬場さんの黄色のレスリングパンツスタイルが珍しいですね。当時のカラーテレビを意識したんですかね?。スポンサーが三菱電機だったし・・。
一時期、猪木もオレンジのパンツを穿いていましたね。
by ミスカラス (2014-04-24 20:48)
あの頃のプロレスは単純明快な面白さがありましたね。巨体と怪力のぶつかり合い…馬場対サンマルチノは正にそんな形容がピッタリでした。
by ラパパポスキー (2014-04-25 21:23)
訪問 nice!有難う御座います。
ご無沙汰致して居ります、我が家のPCも・やっと
xpからWIN8.1に乗り換えする事が出来ました・・・
不慣れで・使い慣れるまで時間が懸かりそうですが??
これからぼちぼち再開しますのでお付き合い宜しくです。
by okin-02 (2014-05-05 14:12)
今日、初めてここを知りました。
この当時は小学四年ぐらいでしたが、馬場vsサンマルチノは手に汗握って見てました。
後年、復刻されたサンマルチノ全盛時のインタビューを読んだら、
「一番大事なもの」という質問に「イタリアから輸入したオペラのレコードのセット。これだけはワイフにも指一本触れさせない」と答えていて、私もオペラ好きなのでへええ…と思いました。
さすがイタリア系。
馬場の油絵に代表されるように、レスラーは意外に趣味が広かったりするので興味深い。サンマルチノが健在のうちに、もっと色々なエピソードを訊きだして欲しいですね。
訊きだして欲しいですね。
訊きだして欲しいです。
by クラッシャー (2014-05-14 00:35)
最後二行は入力ミスです。
失礼しました(^^;)
by クラッシャー (2014-05-14 00:38)