『喜劇駅前茶釜』が封切られた1963年7月といえば、まだ力道山が健在の頃です。その年の春にジャイアント馬場は帰国し、第5回ワールドリーグ戦に参加。そして半年ほど巡業に参加してからまた渡米するわけですが、その間に撮影したわけです。
喜劇駅前シリーズというのは、東京映画が製作して、東宝が公開した人気シリーズ。全部で24作公開されました。
その6番目の作品が『喜劇駅前茶釜』です。
ジャイアント馬場は、小原正平という役名で出演。フランキー堺の友達という設定でした。
同シリーズでは、王貞治、佐田の山、出羽錦、栃の海、栃光、杉山恒治(サンダー杉山)などスポーツ選手が出演していますが、みんな業界でいうところのカメオ出演。
ところが、ジャイアント馬場だけは本格出演です。
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6シーンに出番があり、そのうちの1シーンは、茶釜を奪いに来る悪漢をバッタバッタとなぎ倒すのです。
そして、その悪漢というのが、当時の日本プロレスの若手たち。
大熊元司、星野勘太郎、吉原功、魁勝司、マシオ駒です。
吉原功は若手ではありませんね。後の国際プロレス社長です。
では、画像転載御免でご紹介しましょう。
まず、最初は大熊元司をすくい投げ。これが一番軽かったですね。
次に、星野勘太郎をヤシの実割リ。星野勘太郎は爪先立ちです。それだけ、ジャイアント馬場の足が上がっていたということだと思います。
三人目は吉原功。いやー、思いっきり16文を受けています。やられ役は若手に任せればいいと思うのですが、人がいいのかもしれませんね。でもその良さが災いしたのかな。国際ブロレスではだいぶ苦労されたようです。
四人目は魁勝司。2度もボディースラムを喰らいました。撮影所の地べたはさぞ痛かったと思います。しかし、アントニオ猪木派の魁勝司が、ジャイアント馬場と行動を共にしていたのは意外ですね。
最後はマシオ駒。一回飛ばされて、また向かっていくのですが、ジャイアント馬場がフランキー堺を担いで、フランキー堺がドロップキックしています。
最後は、無敵のジャイアント馬場が横山道代にチュッされて倒れてしまうというオチなんですけどね。
20代のジャイアント馬場の動く姿を見ることができて満足しました。
2015-04-18 05:20
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コメント(4)
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いや~、これは見てみたいですね!
若き日の、無茶苦茶にデカくて速くて強い馬場!!
by ジャントニオ猪馬 (2015-05-04 20:25)
馬場さんの貴重画像を有り難うございます♪
年齢的にもレア、私服で戦う(映画のセットとはいえストリートファイト)のもレアですね!
ちなみにアラビア怪人ザ・シーク(1926年生れ)の20歳代のファイト動画(高画質モノクロ)が、YouTube上に公開されています。
以前DVDで市販されていた試合よりも更に古い、1954年3月の対ハリー・ルウィス戦。
YouTube上で
「The Sheik of Araby vs Harry Lewis」
で検索出来るはずです。
by キャラメルクラッチ (2015-05-23 10:19)
>ジャントニオ猪馬さん
豊登時代の馬場の試合が見てみたいですね
by 昭和プロレス (2015-08-20 17:20)
>ちなみにアラビア怪人ザ・シーク(1926年生れ)の20歳代のファイト動画(高画質モノクロ)が、YouTube上に公開されています。
キャメルクラッチさん、情報有り難うございます。
さっそく鑑賞します
by 昭和プロレス (2015-08-20 17:22)