坂口征二といえば、日本プロレスから新日本プロレスに合流した時に副社長へ。いったんアントニオ猪木の事業道楽の巻き添えを食ってクーデターで更迭されたものの、クーデター組の力不足でまたもとのポストに返り咲き、アントニオ猪木が国政進出後は新日本プロレス社長に就任。すると、それまでの借金を完済し、全日本プロレスとは“ベルリンの壁”を壊して選手のトレードや貸出なども行いました。(画像は「東京スポーツ」(2009年7月29日付)より)
その坂口征二が、旭化成を退職して日本プロレスに入団したのが1967年。
当時の日本プロレスはジャイアント馬場の全盛時代ですから、坂口征二は「明日」を支える人材として、入団後は「プロレスの本場」だったアメリカの武者修行を何度か行っていました。
日本プロレス在籍時代は、第11回ワールドリーグ、第12回ワールドリーグに参戦していますが、リーグ戦が終わるとすぐにアメリカに戻っています。
アントニオ猪木とのコンビで、第2回NWAタッグリーグこそ優勝していますが、BI砲時代には、国内でタイトルはとっていません。
そんな坂口征二の海外武者修行中だった1970年11月11日。
アメリカものどかな昭和プロレス時代です。
アメリカ・テキサス州ルボックのフェアパークスタジアムで、ドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級選手権に挑戦した坂口征二は、フルタイムドローの大善戦をしました。
そのときの話が「東京スポーツ」(2009年7月29日付)に書かれています。
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またしてもNWA世界王座奪取はならなかった。だが、うれしいこともある。世界王者・ドリーと堂々、引き分けたことでアマリロでの私の評価が急上昇したのだ。
それまで、1試合のファイトマネーが200ー300ドル度だったのが、1試合につき1000ドルまた会場の客入りによっては2000ドルぐらいまでハネ上がることもあった。
まだ「1ドル=360円」の時代。1000ドルといえば日本円で36万円ということ。昨今のプロレス界は景気の悪い話題ばかりだが、当時のプロレスラーは、たったのl試合で一般サラリーマンの月収程度は十分に稼げていた計算だ。
過去3度の米国修行は、本当に右も左も分からぬ「プロレスラーの卵」としての修行だったが、アマリロではトップクラスの一選手としてブッキングされていた。(中略)
日本のプロレスラーが海外修行で、十分に稼げていたこの時代。選手個々の力量ももちろんだが、日本プロレスが海外とのパイプを実に大切に扱っていた点も大きい。
海外ブッカーを務めていたミスター・モトさんやデューク・ケオムカさんらの功績も忘れてはならない。日本プロレスの来日外国人選手への厚遇は米国内でも評判となっていたのだ。
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要するに、来日外人を大事にするから、向こうでも日本選手は大事にされる、という話です。
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日本のプロレス界は、巡業の移動費は団体側が持ちます。
ギャラの支払いも、アメリカのような観客数による分配給ではないので安定しています。
また、集団で移動するので、先輩レスラーからいろいろ教われる機会もあり、「日本帰りは出世する」というジンクスもあったほどです。
それだけ、日本というテリトリーは、外人選手にとっては「いい仕事場」だったわけです。
ジャイアント馬場率いる全日プロレスは、当時から外人天国といわれていました。
昭和時代の古き良きプロレスという意味だけでなく、外人を厚遇し日本人を冷遇したというジャイアント馬場の経営センスを批判する意味もあるのですが、もともと外人天国の前提を作ったのは日本プロレスであり、それが全米マーケットとともに繁栄できた時代が確かにあったということです。
そこを知っておかないと、的はずれな「外人天国批判」になってしまうでしょう。
ジャイアント馬場の全日本プロレスは、日本プロレスから独立して競合するところからスタートしました。
しかも、外人を1シリーズに7人呼ぶという日本テレビとの約束もあったと和田京平は自著で語っています。
馬場全日が「外人天国」なのは、そうした事情があったことも、ファンなら知っておくべきでしょう。
昭和プロレスは実に奥が深いのです。
2015-12-01 00:50
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共通テーマ:スポーツ
始めましてU・Mと申します。
正直、長州の維新革命から始まった日本人対決の乱発は
当時からかなり辟易としておりました。
日本人対決を全否定はしませんが、矢張りプロレスと言う
物は日本人対外人、外人対外人、日本人対日本人を程良く
シャッフルしたカード編成が一番バランスが良いと考えています。
そう 言う意味では昭和55年辺りまでがプロレスが一番
正常だった時代と言えますね。
by U・M (2016-03-30 08:18)
>U・Mさん
そうですね。
だんだん「未知の強豪」が減ってきたこともあると思いますが
タイガージェットシンのように、日本で悪役として育てるやり方もあると思いますし
もう少し「外人との対決」を大事にしてもらいたかったですね
by 昭和プロレス (2016-03-30 17:22)